「フレイル」とはどういうことか

フレイルは、厚生労働省研究班の報告書では「加齢とともに心身の活力(運動機能や認知機能等)が低下し、複数の慢性疾患の併存などの影響もあり、生活機能が障害され、心身の脆弱性が出現した状態であるが、一方で適切な介入・支援により、生活機能の維持向上が可能な状態像」2)とされており、健康な状態と日常生活でサポートが必要な介護状態の中間を意味します。
フレイルなどと言う妙な言葉を作り出すものだ。神奈川県では未病という言葉を使っていた。考え方は老人には重要なことだと思う。フレイルの基準には、5項目あり、3項目以上該当するとフレイル、1または2項目だけの場合にはフレイルの前段階であるプレフレイルと判断される。
- 体重減少:意図しない年間4.5kgまたは5%以上の体重減少
- 疲れやすい:何をするのも面倒だと週に3-4日以上感じる
- 歩行速度の低下
- 握力の低下
- 身体活動量の低下
私の場合、握力の低下が気になる。プレフレールか。以前より衰えたことは確かだが病的というほどではない。もう一つは眼の緑内障が徐々に進行していることがある。ここに視力の低下も入れるべきだろう。聴力の低下は気になるところだが、多分これも起きている。眼や耳の衰えは、フレイルに繋がると考えた方が良い。
何かで転んでしばらく動かなかったら、動けなくなる。そして、活動量が減少する。と言うようなことを良く聞く。コロナになって、直ったがどうもその後すべてがおっくうになったという話もよく聞く。要するにちょっとした不調が原因で、老人は要介護状態に一気に進むと言うことだ。
目が悪くなると言うことは辛いことである。特に絵を描く人間にとっては致命傷に近い。もちろん活動も減るだろう。それでも気持ちを強く持ち続ける事が重要になる。眼が見えなくても絵を描くと言うぐらいの気持ちが必要なのだ。それは実際に不可能なことではない。
モネはオランジェリーの睡蓮の絵は、晩年のモネの集大成である。白内障で3回の眼の手術を受けた結果、当時の技術の遅れもあり、ほとんど眼は見えないほどになっていたのだ。それであれほどの絵を描いたのだから、目がよく見えないからと言って、気力まで失う必要は無い。
フレイルの問題の一番は5つの要素の劣化によって始まる、精神力の衰弱にあると考えれば良いのだろう。フレイルを防ぐためには、まず気力を強く保つ努力である。運動をするというようなことも必要ではあるだろうが、精神力を高める努力がさらに重要になる。
精神力を高める努力は、私であれば絵を描くことである。今の自分を越えるために、画面で自分のだめさと戦うことである。それは本当に苦しいことだ。これで良いと考えている自分を、日々否定して戦うことになる。昨日はこれで良かったと言うことが、明日には乗り越えなければならない邪魔なものになる。
この画面での苦しい、不愉快な追及以外に絵を進める方法がない。それが私絵画であるからだ。私自身を深め高める以外に私絵画が進むはずがない。そういう真剣な、命がけの絵画制作が出来るかである。それがフレイルという状態から抜け出る唯一の方法だ。
もう一つ言えば、そういうのぼたん農園の建設が出来るかである。生きている時間を十二分に生ききる。これ以外に精神を高めることは出来ない。本来であれば、只管打坐である。曹洞宗の僧侶であるのだから当然のことなのだが、私にはそれが出来なかったので、只管打画と言うことになる。そして只管打農である。
未熟なあがきに生きている人間であるので、これでやむを得ないと考えている。坐禅を出来るような上等の人間ではなかったのだ。人間は上等で無いからと言って、十分に生きる事を諦めるわけには行かない。だめな人間もだめなりに十分な人生を送ることは出来るはずだ。
いやだめだからこそ努力しなければならない。天才ではない。特別の完成があるわけでもない。ありきたりの人間が自分を出し切ることに意味を感じている。結果はたいしたことにならないこともおおよそ分っている。結果の問題ではないはずだ。諦めないで、いけるところまで行こうとすることが、活力を持って生きる道だ。
そのあがきの経過が絵なのだと思う。どれだけ本気で自分を出し尽くせたかは絵に表れて居るはずだ。当然たいしたことは出来ていない。それでもわずかづつだが、その本気は絵に出初めて来たような気もしている。少なくても人の絵から真似たものは徐々に消えてきている。
絵が好きで初めて、人まねをしていて、自分の絵を描かずに終わるとすればこれは悲しいことになる。ダメになることを恐れず、まず人まね部分を払拭する。そして過去の自分をも真似ない。毎日新しい自分を目指して絵を描いて行く。これは大変だが面白いことだ。
自分の絵が描けると言うところまでは来ていないが、他人が作った上手な絵を目指さなくなった気はしている。絵面の手順のような工夫も減ったと思う。自分が全部を出して絵という世界に向かい合っているのかどうか。心許ないことではが、自分なりに努力している姿は見える。
これがフレイルからの脱出ではないか。絵を描くことこそフレイルから抜け出る道である。のぼたん農園を作ることこそフレイルから抜け出る道である。毎日やりたいことがあり、それに精一杯向かうことが出来る。日々の充実があれば、フレイルにはならない。
朝の動禅体操を継続できれば、1,体重は60年変らない。2,疲れやすいと言うより、気持ちがどっこいしょと言うようになったのは事実だ。3,身体活動量は、以前よりも落ちたが、若い人とそうは変らない作業が出来る。4,これ以上握力が落ちる事も無いようだ。5,歩くのも普通だが、早足と普通を繰り返すようにしている。
足腰はまだ大丈夫だ。動禅体操の御陰だろう。