維新の党議員は何故立花氏を頼ったか。

   



 維新の党の兵庫県議が立花氏を利用して、情報発信をしようとした。自ら発信するよりその方が効果的だと考えたのだろう。実に悪質なやり方である。情けない維新の会の連中である。そのために自殺者が出たのだ。こうした人間が一番嫌いだ。卑劣で弱いくせに、たちの悪い連中だ。

 百条委員会の非公開の内容を、選挙のために公開したと言うことで、懲罰に値する行為だ。それを承知で規則違反をした。この立花氏への情報漏洩が、ひどい個人に対する中傷行為に油を注いだ。攻撃に遭った元百条委員の議員がが自殺することにつながったとことは確かだ。

 何故ここまでのルール違反をしたのかと言うことに対しての弁明は、斉藤知事を本音では、支持していたからだ、と言うことだった。それなら何故県議会で斉藤知事の罷免を支持して、票を入れたのかと思う。不本意ではあったが、世間の動きに従ったのだ。

 この保身の情けなさが維新の議員の程度を表している。維新以外の党が斉藤知事罷免で一致していた。報道も一辺倒で斉藤知事品である。世論が事実誤認で間違っていると考えたのだ。それなのに、自己保身のために斉藤知事罷免の行動だった。

 その結果、斉藤知事は罷免され再選選挙になった。罷免に票を入れながら、なんとか斉藤知事を裏で応援しようとしていたと言うことらしい。何という卑劣な、選挙民を愚弄した態度なのだろうか。許しがたい県会議員だ。斉藤知事が正しいと考えるのであれば、あくまで支持をすれば良かっただろう。

 世論の批判を恐れて、斉藤知事罷免に賛成したという情けなさ。この信念のない、付和雷同の議員の性根が腐っている。これが維新の党の体質といえる気がする。斉藤知事罷免の党の方針に従ったと言うことなのだろう。そもそも政治家としての思想が、維新の党にはないのだ。

 この事件に対して、橋下氏がテレビで、実にひどいこコメントを発言をしていた。 百条委員会を非公開で行ったことがおかしいかったのでこういうことが起きたと主張していた。それなら何故非公開を決めるときに反対をしなかったのだ。反対もしないで、非公開になった結果、文句だけを言うのだ。本当に卑劣な人間だ。

 選挙中の百条委員会であり、選挙に影響があるから、非公開にしたと言うことの、どこがおかしいというのだろうか。しかも、この日は元副知事が不規則発言をすることが、想定されていたのだ。それは自殺した告発者の私的パソコンの内容を公開してしまう可能性だ。

 実際に百条委員会で、何度もそれは私的内容だから、発言を止めるように委員長から言われたが、元副知事は腹いせで、告発者をおとしめようと、不規則発言を繰り返したのだ。自殺した人であり、弁解が出来ない状況でパソコンで見たという一方的な見解を、真偽不明の内容を公にするのは、許されることではないだろう。この情報を持ち出したのだ。

 橋下氏のもう一つの発言は「報道というのは常に秘密の暴露を行っている。自分も様々な情報ルートからの秘密情報を暴露してきた。それを犯罪としたら、報道などない。」このように橋下氏は主張した。報道の意味を取り違えた嫌がらせの主張にすぎない。

 報道が行っても良い秘密の暴露は、その社会的意味合いによるだろう。社会正義のための秘密の暴露であれば、報道の正義といえる。しかし反社会的な暴露、故人をおとしめて、人を自殺に追い込むような情報を暴露することが正義のはずがない。なるほど維新の関係者はこういう考え方のようだ。

 非公開の百条委員会の映像を、維新の県議はあえて立花氏に渡して、斉藤知事の選挙に有利に働くように依頼したのだ。当然のこと、二頭立て選挙選の中での立花氏はこの情報をまるで事実かのように、宣伝しまくった。それが斉藤知事が、被害者であるというおかしな話につながっていったのだ。

 それを真に受けた兵庫県民も愚かなものである。これが犯罪者知事が再選されてしまうと言うゆがんだ選挙になった原因になった。個別の内容の是非の問題ではなく、等しく内部告発者は告発した行為自体は、保護されなければならない。内容の精査はその組織外のものが検討しなければならない。それが内部通報者保護の法律の趣旨である。

 そもそも、この副知事が斉藤知事の指示で告発者の犯人捜しをしたこと自体が間違っていたのだ。告発者を探すこと自体が違法行為なのだ。もし斉藤知事に心当たりがないであれば、自分ではなく、中立的機関に対応を任せるべきだった。自らのことなのだからわかるはずだ。実は内容に心当たりがあったので闇に葬ろうとして、犯人を見つけ処分を急いで行った。

 まして、告発者を特定して、その私的パソコン内容まで暴いて、一方的に処罰まで行った。この行為が犯罪行為であって、告発内容の正しさの問題が問われているのではない。斉藤知事が内部告発によって、陥れられたのであれば、第三者機関が、それを証明したはずであろう。

 実際には斉藤知事の問題点は百条院会の報告によると、結果として告発内容は概ね正しいことだったのだ。それが知事を辞めなければならないほどの問題なのかどうかは別にして、内部告発者を探し出して、一方的に処罰をしてしまったことに、重い罪がある。

 内部通報制度が権力者を独裁者にしない道だ。鹿児島県警でも野川本部長が事件を握りつぶした事件があった。その内部告発が、本部長により処罰された事件があった。あの事件も結局内部告発者が保護されなかった。まだまだ、日本の社会は権力者に甘いのだ。

 権力者は常に批判されなければならない。権力は批判されて初めて正しく運用される。権力を持つものは常に謙虚に、自己批判を繰かえさなくてはならない。権力が反省なく行使されることになれば、権力を振るわれるものの立場が、権力者と対等ではなくなる。

 兵庫県知事は犯罪者であるにもかかわらず、選挙で選ばれてしまった。兵庫県民はパワハラ知事を、偽情報で良しとしたことになってしまった。これは民主主義による選挙の敗北である。愚かな大衆が行う選挙は愚民選挙であり、民主主義の問題なのだ。

 立花氏のような選挙ゴロを放置している日本の選挙を取り締まる法律があまりに不完全である。SNS選挙への対応が出来ていない。その不備につけ込んできているのが立花氏だ。今度は千葉県知事選挙で兵庫県で選挙カーで街宣活動をしている。

 日本の民主主義の劣化を意味している。黙っていても立花氏が消えて行くようでなければダメだ。大衆の眼が腐り始めている。健全な世論形成力が、コンピューター革命に追いついていないのだ。すぐに、陰謀論に巻き込まれて行く。

 新聞やテレビがあまりに腰抜けなのだ。きちっとした批判が出来ないでいる。まして橋下氏などテレビが取り上げすぎだ。それが維新の党の支援になっている。もう橋下氏を新聞やテレビに出すようでは日本の報道はダメなのだと思う。橋下氏を取り上げて、維新の党の弁解をさせるのでは、最悪ではないか。

 

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