ダメだから道が開けた。
生きると言うことの現実は、失敗の連続だった。しかし失敗のように思えたことが、実は後々には役立つことばかりだった気もする。画家になれなかったという意味では、決定的な失敗に思えたのだが、それが却って、私絵画という自分らしい絵の描き方が出来ることになった。いま絵を描くことに邁進できている。
画家の道を止めると決めた時はすっかりめげてしまい、なにも考えられなかったのだが、失敗したことを意味のあることだと思えるのかどうかで、生き方が決まって行く。失敗が成功の元というより、失敗が次の失敗の元だ。失敗がだんだん何でもなくなり、失敗承知で挑戦することの意味を考えうようになることができた。
今もこの歳で、新しい農場を始めるなど、とんでもないかも知れない。感性まで生きているかどうかも分からない。失敗を恐れないで、次の希望を考えるとわくわくして来て、立ち向かうことがおもしろくて仕方がない。これは失敗を繰り返してきて、やってみれば何とかなると「楽観」で思えるようになったからだ。
画家をあきらめようと思い、生前葬個展を今はなくなった文藝春秋画廊でした。案内状にはそのように書いた。きてくれた絵の友達から言われた。「これはずるいよ、これじゃ来ない訳に行かないじゃないか。閉店セールも一回だけにしてくれよ。」
一回だけにしたわけでは無いが、それ以来個展はやっていない。絵を売ると言うことが自分には耐えられなくなったのだ。それでは絵描きというわけには行かない。商品絵画と戦うのが耐えられなかった。絵を投資と考えて買うという人に耐えられなかった。そんなつもりで絵を描いているわけではない。
それから35年、画家では無いが、絵は描いている。そう決めてからの方が長いくらいになった。そして、私絵画の世界を見付けることになった。これが、大失敗が新しい世界を開くことになったのだ。今でも悔し紛れで、こんな変なことを言い出したと言われることがあるが、それでいい。
画家を止めたことを心底良かったと思っているのだ。絵を販売して生活費にするよりも真実の暮らし方はある。絵を売って暮らさなければ絵が本ものにならないと言う、考えは間違っていた。絵を商品だとすれば、香具師のバイのネタを本物と考えたら大間違いという事になる。ガセネタだから良いのだ。
絵を書くと言うことは修行なのだと今は思っている。修行は生きている限り続くものであって、成就すると言うことは無い。千日回峰行はそこが怪しい。だから、絵描きに成れなかったからと言って、それも一つの途中経過に過ぎない。宗教者としては乞食坊主も大僧正も何ら変わらない。
もう一つの人生の大失敗は自分の鶏種を作ると言うことだった。これは子供の頃からの夢だった。その頃鶏の卵を365個産ませた人がいて、世界新記録とラジオで放送した。鶏を飼っていた私はそれならもっとすごい鶏を作ってやると思った。それから熱中して、自分の鶏種ササドリを作出した。
ササドリは自家養鶏の鶏種である。自分の鶏でやる養鶏である。昔村々に存在した地鶏の養鶏である。これを再現しようとした。かなり成功に近づいたのだが、結局の所鳥インフルエンザにやられた。ご近所の人から、養鶏場が危ない場所のように言われた。
警察署や家畜保健所や自治会長がそのことで押しかけてきた。私は社会のために自然養鶏をやってきたつもりだった。そしてササドリも実現しかかっている。これが世界中に広がれば、貧困は撲滅できるとまで、思い込んでいたのだ。それが、まるで危険なことをやっているかのように言われたのだ。
これで完全に嫌気がさした。今までの苦労は何だったのか、世間はこれほどあほらしいものなのかと、馬鹿馬鹿しくてやってられなくなった。養鶏業を止めた。子供の頃からの夢が終わったときだった。ササドリは優秀な新しい地鶏になろうとしていたが、今は消えた。
それが田んぼに変ることになったのだ。田んぼの有機農業で畝取りをしてやると、方向転換することのきっかけになった。農業の本丸を攻め滅ぼしてやるというような気持ちだった。自分から養鶏業を奪い取った世間を見返すような気持ちがあったのかもしれない。有機農業で慣行農業を凌駕してみせると考えたのだ。
それから、5年ぐらいで畝取りを達成した。これを疑う農家は多かった。直接収穫を見せてもなかなか信じなかった。いつでも見に来て欲しいと。田んぼを見ればどれくらい取れているか分かるだろうと考えていた。私が専業農家を有機農業で上回ることが許せなかったのだろう。
それから10年以上畝取りを継続している。今ではやっと農業者として受け入れて貰えたような気がしている。最近は有機農業で畝取りすることが普通になってきた。有機農業の方が優秀な農業という事が、証明されつつある。遠からず慣行農法は消えてゆくことだろう。
養鶏を止めなければ、稲作への転換は無かった。有機農業の稲作の自給的方法を作り上げることができた。失敗が功を奏したとも言える。のぼたん農園では、ひこばえ農法に挑戦をしている。アカウキクサ農法に挑戦している。この毎日が面白くてたまらない。
養鶏を止めさせられるに当たって。このままでは人間の感染症が必ず蔓延すると予言した。それはここに来てコロナのパンディミックで予測通りのことになった。あれほど私の主張を信じなかった人は、たぶん私の主張など忘れているだろう。
今では鳥インフルエンザも全羽数淘汰では無くなった。治療法が出てきたのだ。同時に鳥インフルエンザが通用人間には感染しないと言うこともやっと理解が広まった。まあ、コロナでそれどころでは無くなったと言うことになる。あのとき感染が広がれば、ササドリも淘汰されるというのがあまりに理不尽に思えたのだ。
失敗に終わる時は何とも苦しいが、それが次の目標を見つけることになった。今になってみれば、新しい目標に向って生きていることの方が大切なのだという事が分かった。だから、「のぼたん農園」の冒険にも乗り出すことができた。あれこれの失敗がなければ始めることはできなかった。
実現できるかどうかは分からないのが生きるという事のすべてだ。明日のことは分からない。ただ目標を持ちそれに向い日々精進してゆく。生きる充実である。その一日をどれほど充実したものにできるかである。今日は小田原の舟原の溜池の直しを行う。溜池がカキツバタの群生地になるのが、夢の一つである。