石垣島と神宮外苑の開発事業

   



 神宮外苑の樹木が切り倒され、良くテレビドラマの場面になった銀杏並木が危ういことになっている。高層ビルを建てる再開発事業が行われようとしている。神宮球場やラクビー場の老朽化、加えて明治神宮自体の立て直しもあるらしい。

 その費用を再開発事業で行うと言うことらしい。三井不動産が空中権を転売して、事業の費用を捻出する計画。国が貧乏になり、今の神宮外苑の樹木をそのままのに残す余裕が無くなったからである。本来であれば、東京は緑が少ない。緑が残る場所は皇室関係ぐらいなので、一般の人は立ち入り禁止地区である。

 私の住む、石垣島でも開発事業は次から次へと計画されている。何故この国立公園の島で開発事業をしなければならないかと言えば、住民の生活が開発事業に依存をしているからである。建設業者が建設工事を続けなければ、石垣島の経済が回らないと言うことが、理由である。生活のためにある程度自然の切り売りも致し方ないと言うことになる。

 人間が快適に暮らすためには、樹木や草のある場所
、水辺のある自然の空間が必要である。本来土地は人類にとって共用なものである。土地所有者であるから、自由に何をしても良いという者ではない。特に都市に人間が集中しているときに、今更緑の空間を消去する発想は、利潤を追い求めるだけの醜い姿以外の何ものでも無い。

 石垣島の開発事業は開発時業者のためが第一義である。開発事業が行われれば、工事関係者を始め島民の大半の人が何らかの恩恵を受けることになる。例えばそこにホテルが出来て、観光客が来れば、そこに提供される肉やお米がいくらか高く売れる可能性がある。農業者にだって、開発事業の恩恵がある。

 日本の経済が、行き詰まっている。新しい産業の創出が出来なくなっている。財政は膨大な赤字を積み重ね、ほぼ破綻状態である。政府は無いお金を印刷して、作り出しているという綱渡り状態にある。今更自然を大切にしている余裕などないと、追い込まれているのかも知れない。

 背に腹は代えられない。大阪はカジノで乗り切ろうとしている。確かにそうなのだが、こうした自転車操業というか、売り食い生活を続けていて大丈夫なはずはない。都会のみどりにも、国立公園の自然環境にも限りがある。石垣島で言えば、観光資源の一番は南の島の美しい海や山である。これが無くなれば、いくらホテルがあってもどうにもならない事は誰にでも分かる。

 開発事業をしてホテル建設をしなければ、経済が回らないという現実も目の前にある。ただし、その開発が限度を超えてしまえば、元も子もないと言うことになるのは誰にも分かっている。まだまだ大丈夫だと考えるのが、行政や開発業者である。もう自然破壊は限界が越えているという、環境主義者の対立が起こる。

 よく分かるのは水資源である。島の水には限度がある。淡水化施設でも作る経済的余裕などない。島に降る雨を上手く貯めて、その水を上手く生活や産業で使わなければならない。上手く地下水を涵養する仕組みも重要であろう。それにしても、島の水の上限を超えた開発事業は身を滅ぼすだろう。

 神宮外苑の森はそれほどの森ではない。かろうじての自然である。それだからこそ、今更あそこの木を切り倒して、巨大なビルを建てる事に反対運動が起こるのは、自然破壊の分りやすい限界が誰にでも見えるからだ。それでも再開発事業であるというのは強弁に過ぎない。都市の破壊事業である。

 巨大なビルを作れば、借り手が居るのが東京である。だから、次々に大型ビルが増えて行く。石垣島に越してから、時に東京に出掛けると、東京が常にビル工事をしていて、変わり続けていることに衝撃を受ける。いまさら銀座にビルの建て替えが必要なのかと思う。異空間が出来上がって行く。人間はどこに向かっているのかとその異様さに恐怖を覚える。

 田舎に暮らす者の感想だから、そんなことになるのだと思うが、神宮の森に巨大ビルが建って良いものだろうか。国が貧乏で借金まみれだから、空中権販売という手段以外での、神宮の森を残したままの形では、施設の建て直しが出来ないと言う事なのだ。もし国の財政に余裕があれば、こんな馬鹿な計画が立てられることもなかったのだ。しかし、貧すれば鈍するで、そこに開発業者が仕事ほしさにつけ込んだのだ。

 中国では不動産バブルの崩壊が言われているが、中国のごく一部の富裕層の投資マネーは相変わらず日本の不動産の購入を続けている。まだまだ日本は上がるとみているのだ。上がるはずだから、開発業者もビルを作り続ける。こんな経済がまともなはずがない。遠からず限界が来る。

 それは中国の開発事業の限界を見れば分かることだろう。中国は国内の仕事が無くなったという事もあって、一帯一路政策を提案して、海のシルクロードを再構築するために、港湾建設をしている。陸の方ではヨーロッパへの鉄道や道路建設である。国家の財政に余裕があるからできる。

 石垣島の開発でも、ユニマットなどの大手の開発業者が関わっている。開発業者は仕事を探して日本中を鵜の目鷹の目で適地を探している。そして石垣島の農地が狙われる。石垣島には農振農用地が多い。ここを転用して開発ができれば、それだけで大もうけが出来る。

 開発が出来れば、仕事が生まれる。仕事があれば住民も潤う。だから行政も農地転用を後押しする。個々人には到底出来ないはずの、農振農用地の大規模転用がこうして計画される。農地転用の背景には、こうした土地の評価値の莫大な値上がりが背景にある。

 しかし、住民には仕事が必要だ。地元企業にも仕事が必要だ。こうした表向きの理由を掲げて、裏で事業者に対して転用による利益を餌にする。転用は行政の仕事だから、ここに政治が絡んでくる。迂闊なことは言えないが、宮古島では自衛隊基地の土地を転用して販売するために、市長が賄賂をもらい有罪になった。

 石垣島でも、同じように、自衛隊基地に適切ではない場所にもかかわらず、ゴルフ場跡地が自衛隊基地になった。怪しげなことが分からないように行われている可能性が無いとは言えない。そうした、自然を切り売りする行為が国立公園の石垣島でも、行政の熱心さによって模索されている。

 ユニマット社によるゴルフリゾート開発はその一つである。ユニマット社は似たような開発を宮古島でも行っている。西表島でもホテル開発事業を行った。そして、そのホテルを星野リゾートに転売している。ホテル経営能力は低いが、汚い裏の開発行為は得意としているらしい。

 再開発事業はやった方が良いものとやらない方が良い事業がある。木造の危険な家屋が密集していて、防災上取り壊して、道路を入れるようにしなければ成らないところが東京にはまだある。六本木ヒルズが建てられた所はそういう再開発が必要な場所だった。

 関東大震災でも、戦災でも計画倒れに終わった都市環境整備を、再開発で行う必要な場所はある。しかし、神宮外苑はそんな場所では全くない。今のまま自然環境を残して、上手く立て直すことが出来ればその方が良いことは明らかな場所だ。

 石垣島にホテルは必要だし、ゴルフ場もあっても悪くはない。悪くはないが、適切な場所ならばと言う条件があるだろう。自衛隊基地の場所選定が、理由不明で、良くない場所である。石垣島の水源の山である、於茂登岳の山麓に作られた。基地は立ち入り禁止である。内部で危険な化学物質が流れ出したならば、恐ろしいことになる。

 そもそも神聖な山於茂登岳に自衛隊基地を作るなど神をも恐れぬ行為である。水源の山に軍事基地では、安全保障上おかしい。石垣島北部地域にはいくらでも自衛隊基地の適地がある。誰が考えてもそう思える。それが出来なかった理由がどうも怪しげである。

 同じことが、ゴルフリゾートにもあるように見える。まさに何もしないでもゴルフ場のような場所が北部地域にはいくらでもある。何故そこではいけないのだろうか。北部地域の開発こそ、石垣島の発展には不可欠なはずだ。この裏にある怪しげな理由が、開発事業には潜んでいるに違いない。

 

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