将棋竜王戦の第二局の藤井竜王のすごさ

   



 藤井竜王の強さを改めて見せてもらった、竜王戦第二局であった。この将棋ではAIを超えている指し手が、何度か現われた。しかも、終盤の勝負の大切な場面で、AIは角の王手を歩合いか、角合いが良いとしていた。ところが藤井8冠ここで王を角道から引いて、危険な場所に玉を移動させた。

 まさかの手段である。たぶんプロの棋士も全員が失着、とみたのではないだろうか。AIもそうだが、私レベルでもいかにも歩合いの受けが完璧に見えたのだ。ところが歩合いこそ失着になりかねなかった。そのことは当日の段階ではまだ誰も、もちろんAIも気付かないほど難解な手段だった。

 ところが、時間をかけて調べてみると、この歩合いがあまり良くないという判断が出てきた。しかも、王を角道を外して引く手だけが勝つ手段だったのだ。こういうことが、様々時間をかけて、様々なソフトが調べ上げてくれるのだ。そしてその調べの結果が続々とユーチューブに挙げられる。

 その結果、藤井竜王の失着に見えた手が最善手だったのだ。AIが何時間かけても発見できなかった手を藤井竜王は30分ぐらいで見付けたのだ。何故ここでそんなに考えるのかすら私には不思議な場面だったのだ。そしてその後は簡単に勝ちきった。

 それで分かったことは、挑戦者の伊藤6段の強さも並ではないと言うことだった。強い相手と戦うことでさらに強くなるのが藤井8冠だ。伊藤6段の角捨で玉を下げてもう一度角打ちという手は実は素晴らしい攻めだったのだ。普通ならこの反撃で逆転しただろう。

 いつか藤井8冠がタイトルを奪われるとすれば、この伊藤6段なのかも知れない。伊藤6段は素晴らしい手と失着が出る。手段を発見する能力は抜群なのだが、失着も出やすい棋士かも知れない。将棋には勝因はなく、敗着のゲームだから、伊藤6段は現状では勝負弱いかも知れない。

 もし、伊藤6段が失着が出ないようになれば、藤井8冠を破りタイトルを取ることも可能な才能だ。確かに永瀬王座も唖然とするような失着で王座線を敗れたのだが、永瀬王座の失着はありがちなうっかり系の失着である。疲労の蓄積と1分将棋の罠である。

 ところが伊藤6段の失着は見落としではないようだ。あまりに高度な戦いの中、AIすら気付かないような攻め筋なのだから、見落としとはとうてい言えない。1分将棋の中では読み切れなかったと言うことだろう。この勝負の場面で一時間以上時間を残していた藤井8冠と、1分将棋になっていた伊藤6段の状況の違いが勝負を分けたのだ。

 永瀬王座との厳しい王座戦の中で、永瀬王座は稔密な研究の結果をぶつけてきた。永瀬王座は全精力をこの藤井8冠との王座戦にかけていたような、研究の蓄積をぶつける将棋だった。どの将棋もこの永瀬研究が功を奏して、有利な場面で種判に持ち込んだ。しかも時間は永瀬王座は使わない。

 しかし、それでも最終版の数手で永瀬は長考を続けて、一分将棋に入る。それがやはり失着を呼ぶ原因になる。長考で疲労が溜まったのだ。そしてうっかりが出てしまった。研究では永瀬王座が勝ったのは当然で、この間藤井8冠はあらゆるタイトル戦を戦い続けていて、永瀬王座だけを研究するわけには行かなかったのだ。

 ただこれはからは、藤井8冠は8冠のタイトル戦と、4つのトーナメント戦だけになるので、挑戦者を見据えて研究をしてくるはずだ。しかも伊藤6段との竜王戦に見るように、永瀬戦を経て、さらに読みが深くなり、AI超えが普通になってきたようだ。

 これには藤井の使うパソコンのCPU が桁外れと言うことがあるような気がする。世界的半導体企業「AMD」の日本法人「日本AMD」が1、藤井が将棋研究のための自作パソコンで使用している同社CPU(中央演算処理装置)の最新型が完成次第に提供し、さらなる進化に協力することを明言した。 

 すでに藤井のパソコンは桁外れの演算能力なのだ。だから今の今も、すごい速度で藤井8冠の感覚と読みをサポートしているのだ。テレビの使うAIソフトのレベルではないのだ。翌日に発見できるような手が、数十分で読み切れる能力の違いだ。

 だから藤井8冠が繰返しテレビのAI超えをすることになるのだろう。藤井8冠はAMDの会長兼最高経営責任者であるリサ・スー氏を「世界で最も会いたい人」として挙げ、7月に都内で対談を果たした。いかにこのCPUが重要な物かが分かる。

 藤井将棋は実におもしろい。今までの将棋を一新している。将棋の格言のような物が通用しなくなった。永瀬王座の勝負に徹底した序盤戦術を耐えしのいだ。耐え忍ぶ中で、実に人間的な勝負術を身につけたように見える。最先端のコンピュター将棋といかにも人間的な機微を併せ持つ将棋。

 ここまで進化するともう当面誰も追いつくことは出来ないだろう。伊藤6段と永瀬王座がタッグを組んで戦えば、可能性があるかも知れない。この藤井将棋の桁外れな思考方法は、すべての分野で考えてみる必要があるのことなのだ。

 農業のAI化と言うことが言われる。田んぼの大型農業で一番優れた農法は稲葉式農法だと思う。この稲葉式は実際の技術がとても難しい。しかしこの難しさは
コンピュターならば乗り越えられそうな難しさだ。GPS付きの、自動コントロールのトラックターに稲葉式の代掻きを覚えてもらうことは出来る。

 田んぼの土壌の状態を把握しなければならないのだが、これも人間の判断以上にコンピュターを利用して分析的に把握してもらう方が優れている気がする。大型機械化農業はそこまで進化しなければ意味が無い。またそこまで進む可能性が大きい。

 では絵の方はどうだろうか。絵画は描くという行為に意味を見るように成るだろう。スポーツが身体と心の健康のためであるとすれば、絵画を描く行為が人間の脳の新しい分野を開発するものである気がする。自由な発想力とか、創造する能力を高めるための絵画制作。

 絵を描くと言う行為が生きると言うことの意味を確認し、生きる事の価値を深めると言うことに、将来なるのではないだろうか。そういう絵画の在り方だけに意味があると、AI絵画の登場は証明しているような気がしている。それが「わたくし絵画」と言うことになる。

 藤井将棋を見ていると、そういうことをつい妄想してしまう。それくらい過去の将棋とは別物なのだ。藤井将棋を越えるためには藤井将棋を学ぶ以外にない。もうその領域は素人将棋とは縁のないような世界だ。いつか次世代の天才が現われるまで無理なのかも知れない。

 - 水彩画