交通事故に遭ってしまった。

   



 石垣の繁華街で、交通事故に遭ってしまった。家の近くである。玉那覇酒造に古酒用の泡盛を買いに行くところであった。昨日の夕方4時40分頃である。幸いケガは軽かった。車は大破してしまい、直すことはもう出来ないかと思う状態である。良く軽いケガで済んだと思うと、幸運だったと思う。
 軽い怪我で済んだのは水彩人の仲間の三橋さんの教えだった。彼は車の運転が素晴らしく上手い。長沢節さんから、絵はともかく運転は上手いと言われていた。その三橋さんが、事故で命を救うのは最後の1秒だと教えてくれた。これをいつも守っていたために、死なずに済んだ。三橋さんありがとう。

 相手の車は大きなバンである。相手もケガはなかったという。相手はもし私に当たらなければ、死んでいた可能性もあった。その車は70メートルほど先から徐々に反対車線の私の車に向かってくる。その時はまさかその車が居眠りをしているとは、おもわなかった。

 最初は当然センターラインを越えても、自分の車線に戻ると考えていた。私は30キロくらいで、左車線を床屋さんの前当たりを進んでいた。しかし、30メートルほどになっても私にめがけてまっすぐ50キロくらいの猛スピードで進んでくる。

 この時点でもうだめだ衝突すると思い、必死に右にハンドルを切って、対向車線に出ようとした。しかし、ハンドルを切り始めてさして時間も無く。相手の車の左側と、私の車の左側が、ガツンという衝撃を伴い当たった。その時は、何とかなった。助かったという気持ちだった。

 当たった衝撃で、私の車は右後ろに左の横回転をしながら、飛ばされていった。幸い歩道には人がいなかった上に、そこが駐車場入口で、そのまま歩道をまたぐ形で車は止まった。車から降りて、縁石に座った。どこかがひどいケガをしたという事は無い。しかし胸は痛い。早く病院に行く必要があると思った。

 この時点で何故相手の車が対向車線に向かってきたのかは分からなかった。相手の運転手は40歳ぐらいの体格の良い人で、私の車に当たった後、右側の歩道にある電柱にむかいその辺りで停止していた。1分ぐらいすると車から降りてきた。そして、危ないと言うことで、交通整理をしていた。

 110番を電話した。しかし、電話しようとして眼鏡をかけていないことが分かった。車に戻り、探すが眼鏡がない。すると大丈夫かとその駐車場のとなりに住んでいるお爺さんが出てきて心配してくれた。眼鏡がなくてと話すと、何と車の向こうがにいって眼鏡を探してきてくれた。

 開いていた10㎝ほどの窓の隙間から、外に眼鏡が飛び出して歩道に落ちていたのだ。眼鏡をしていなければ、眼鏡を良く探せないから有り難いことだった。眼鏡は無傷だった。車の運転席でよほど早い速度で振り回されたと言うことだろう。

 眼鏡をかけて、一一〇番に電話をした。すでに相手の運転手がかけていた。そして、身体は大丈夫かというので、大丈夫ではなさそうだというと、自分で119に電話をしろという。そこで電話をして救急車を待つことになる。まだパトカーも来ない。

 そこで家に電話を入れた。すぐそばなので、「交通事故に遭った。すぐ来て欲しいと頼んだ。」そこにパトカーが一台来た。するとそこに消防に勤務しているという、40歳代の方が現われて、色々状況を尋ねながら、交通整理を始めた。道の両側に二台の車が止まっている。そこにパトカーが二台。ますます、車は渋滞を始める。

 その間警察官の人が何をしていたのかがよく分からない。かなり後になり、名前を教えてくれとか、免許証を見せろとか、警察官に言われた。具合が良くないのに、生年月日はなど聞く。1949年というと、それは昭和何年ですかなど聞いていた。痴呆の調査なのか。警官の顔を見返してしまった。人を見えたら疑えと言うことだろう。

 事故から15分ぐらいしてから、救急車が到着する。それから救急車に乗りこんで、うるさい警察の質問攻めから解放される。と思いきや、また救急車の隊員から、質問攻め。一番苦手な電話番号はなど聞く。覚えていない。何の必要があるのかと思いながら、手帳を開いて見せた。

 しばらく質問攻めの後、五分後くらいに車が動き出す。どこに行くのですかと聞くと、たぶん、八重山病院だという。この時点でこれはひどくまずい事をやってしまったことに気付く。一番やってはいけないことをしてしまった。コロナで一般外来が制限されている状況での交通事故である。八重山病院のお医者さんに迷惑をかける。最悪である。

 病院には5分ほどで着いて、そのままトレンチャーに移されて、救急外来に入る。最初の質問はここはどこか分かりますか。ということだった。救急車で聞いていたので、八重山病院ではないのですかと答えた。それからあれこれ事故の状況を聞かれた。これで三回目だから、大分練習を積んで分りやすく説明が出来た。

 そこで先生に、私はコロナの緊急事態時に、絶対に交通事故をしてはならないと考えていました。今回こんなことをしてしまい本当に申し訳ありませんと謝った。すると、先生はこの事故はあなたは避けようがなかったでしょう。しかたありませんといってくれた。それでも迷惑には変わりが無い。

 それから、全身の触診。しびれなどはないか。特に首に損傷はないか色々調べてくれた。痛いのは胸で、先生に押されたらかなり激痛が走った。その他痛いところはと言うので、左膝が痛いというと、ズボンをまくり上げると、すりむいた後があると言うことだった。

 後で痛くなったのは右くるぶしである。これは1時間ほど痛いなど全くなかったのだが、今はむしろ左膝よりも、右くるぶしの方が捻挫したような状態である。と言っても歩けることには問題が無い。一晩してさらに痛くなると言うようなことは、翌朝の5時現在では今のところはない。

 その後病院の緊急外来の大変な活動を寝ながら、隣で目の当りにする。申し訳ない気持ちで一杯になる。そして、血圧測定、心電図測定、血液採取、尿採取、レントゲン、CTスキャン。これはコロナ陽性では出来ないと言われた。ひととおり検査をしてくれる。1時間ほど寝ていると、先生が特に問題はありませんと言うことで一安心。

 まだ、CTを見ていないので待って下さいと言うことだった。今はレントゲンだけでなく、CTも見るのだと思いながら、2時間待つ。先生が飛び回るほど忙しい。まことに恐縮する。このコロナ緊急対応時に交通事故とは、とんでもない話だ。謝る気持ちばかりである。
 
 2時間ぐらいしたときに、家族の人が見えているから来てもらいますと言うことで、カヨ子さんが現われる。本当に心配をかけてしまった。しかし、ここは元気なところを見てもらい安心してもらわなければと、元気に状況は説明した。本日四回目の説明である。五回目以降はこのブログの文章を見せて済ますことにしよう。
 
 不幸中の幸いであったのは、対向車の運転手も怪我無く、私も軽症。これはあの状況では、奇跡的な幸運であろう。もし私が何とか、左車線によけきり、接触がなければ、あの車は寝たまま、電柱の激突したはずだ。私の車が横回転をしながら緩衝材になり、パンクした車がブレーキになった。

 御陰で当たったときに目を覚まし、ブレーキを踏んで、電柱に当たったはずだ。私の方もかなりの衝撃ではあったが、左の前に当たった衝撃が、上手く横回転に吸収された。そこでガツンと止まるようなことなら、身体への衝撃がひどいことになったはずだ。

 両者の当たった角度と幅がほどほどで、何とかしのいだと言うことだろう。以上この事故は人身事故と言うことでは無い。

 - 暮らし