丹田の強化法
丹田というものが人間の核心であると、中国では古くから言われてきた。道教の考え方の基本である。丹田の位置は臍下三寸と言われる。身体の重心がある場所になる。実際にある臓器を意味するのではなく、こころの存どころに似たようなものだ。
私の感覚で言えば、腸活である。腸が人体で一番大事と言う考え方と変わらない。腸は脳と連動している。怒れば腸はもがくそうだ。はらわたが煮えくりかえるのは、比喩ではなく実際のことなのだ。緊張すればすぐお腹が下る。腸は実は最も重要な臓器。丹田を腸のことと考えても良い気がしている。
「腑に落ちる」や「腹が据わっている」などなんとなくお腹の辺りにある収まりどころを感じるのだろう。武士が切腹して腹の中を見せるというのは、まさに丹田に偽りがないことを示していると言われる。武士だけではない百姓はまさに腰である。地に足が着き、腰が据わていないのでは、は百姓仕事は出来ない。
丹田はいかにも東洋的神秘思想の色合いがあり、気とか経絡というような、まやかしのような飛躍を感じるところがある。しかし、丹田についてはあるということで考えてみると、そうとしか思えない考え方である。禅に於いても、白隠は「気海丹田に主心が住めば、四百四病も皆消ゆる」と書いている。
丹田がしっかりしていなければ、一流のスポーツ選手には成れない。相撲取りでも強い力士は丹田で相撲を取るように見える。腰がしっかりしているように見える。それは腰が据わっていると言うことであり、丹田ができていると言うことになる。
「丹田」とは丹を育てる田んぼと言うことになる。丹とは薬であり、毒である。田はまさに私の好きな田んぼのことだ。田んぼが身体の中央にあると考えたのは、当然の事だがなかなかいい。そして、東洋の武術、精神修養、音楽、舞踊、能、そして宗教の修行は丹田をどう育てるかと言うことになっている。
お腹の中心には小腸が存在し、その奥には、骨盤内蔵器、下肢、卵巣や精巣などの性腺、腎臓などに心臓からの血液を送る腹大動脈や、それらから逆に心臓に血液を送り返す下大静脈という大血管も存在する。その両側には、下半身と上半身をつなぎ、骨盤のインナーマッスル(深層筋)として重要な腸腰筋がある。
腸と脳は密接な関わりがあるとされている。脳内ホルモンセロトニンが腸にも存在している。発生学的にみても進化の過程で腸菅から脳ができたのだから、脳も腸も関係が深い。しかも腸は微生物が膨大に存在して、人間の半分を体内で自分ではないものがつかさどっている。
丹は微生物を意味して、微生物を田んぼで育てろという考え方なのかも知れない。それなら納得が行く。良いお米を取るためには、田んぼの土壌に良い微生物を増やし、活性化することだ。人は腸で食べたものを消化し、栄養を吸収している。そこに活躍しているのが、微生物だ。
腸に存在する微生物の数は100兆個にもおよび、人間の細胞数が60兆個と言われているよりも多い。数えたわけではないので、おびただしい微生物という他人様が腸の中に居ると言うことだ。だから腸活と言うことが最近言われるようになったわけだ。これは人体把握の大きな前進である。
丹田とはおおよそ腸のことと考えて良い。そして、腸の中にいる微生物のことと考えても良いと言うことになる。微生物は自分の肉体ではなく、腸の中に巣くう他人である。だから、丹田を育てるとは、腸に暮らす微生物は育てなければならないと言うことになる。大事なのは肉体を鍛えることは大分違うということだ。
どちらかと言えば、脳を鍛えると言うことに近いはずだ。脳トレというのも最近惚け防止で、言われることだが、脳は使い方で歳をとっても衰えるどころか、成長するらしい。それは脳はほとんど使っていない部分が多いかららしい。特に小脳などは、絵を描く行為を小脳化する必要がある。
大腸活性化が丹田を鍛えると言うことになる。微生物を増殖するにはその暮らす環境を整えることだ。腸の微生物が有効に活動してくれるためには、丹田を鍛えなければならない。怒って煮えくりかえったり、緊張して腹下しをするようではだめだろう。精神を安定させ、強い安定した気持ちで暮らすことだ。
丹田の強化は呼吸法が言われる。先日ユーチューブで大笑いをして丹田を鍛えると言うことを主張していた人が居た。これは良いかもしれない。愉快に大笑いをして、楽観に至ると言うことだろう。腹式呼吸をすることで丹田を強化すると言うこともよく言われる。お腹で息を吸ったり、吐いたりすると、坐禅修行で言われた。
大笑い丹田強化法は丹田の在処を実感できると思う。大笑いするときには意識をせずともお腹をハッハッと膨らましているはずだ。自然腹式呼吸になっているのだ。笑いの力は侮れない。毎日大笑いして暮らしていれば丹田が座った人になれるだろう。
スワイショウの際にお腹で息をするようにしている。静かにするのではなく、大きくお腹で息をしている。実際にはお腹かで息が出来るわけ無い。あくまでそういうつもりで、吐くときはおなかを膨らませながら吐く。吸うときもお腹で息を吸うつもりで行う。
一回腕を振りながら一回の息をする。スワイショウでお腹が鍛えられれることになる。これを安定して出来るようになると、大分丹田が意識できるようになる。何かと言うときに丹田を意識するのだ。腹で本気を出すと言うことになる。
丹田で絵を描くことになる。腹の力で絵を描くつもりで描かなければならない。気合いだ、気合いだ、とさけんで力んでいるプロレスラーがいるが、あれでは気合いは入らない。気合いは口を閉じ一気に吐くがその時声は出ない。腹に力を込めて、筆先に伝える。声を出したら力は抜けてしまう。鼻歌交じりには絵は描けない。
筆に込める力は筋肉の力ではない。思いの力である。生きろ、生きろと生命力を絵に込める。そう思っても描いたとしても、なかなか難しいのだが、たまにどこから何かが降りてきて、手助けしてくれることもある。誰かが描かせてくれるのだ。腸にいる微生物かも知れない。
だから、どうやって命あるその絵を描いたのかは分からないのだが、腸に暮らす微生物が、気合いを込めると小脳に指示を勝手に出すような感じかも知れない。いつの間にか、思いもよらないことをやって、絵が生き出す事がある。
大脳は海を描こうと、コバルトブルーを溶いているのに、それが筆が延びると、きの辺りを縫っていることがある。赤い花のこともある。それでもいいのだ。筆は勝手に、空を描き出したりする。そんな時に、自分を越えてて絵に生命力が籠ることがある。