憲法改定について
昨日は憲法記念日だった。ネットでも新聞で憲法改正の国民の意識について、あれこれ書かれている。昨年よりも憲法改正賛成がいくらか減少し、反対が増加したと言うことが注目されると書かれている新聞もあったが。大きく言えば余り変わらないと言うことだろう。
ロシアプーチンの狂気としか思えない、ウクライナ侵攻があった。これで日本人の平和に対する考えが揺らいだ一年だった。専守防衛の平和思想から、敵基地攻撃ミサイルという考え方が、当然のごとく滑り込んだ。非常に危険な状況が起きたのだ。一年が経ち少し戦争に対する気持ちが変わってきたのかも知れない。
ウクライナ侵攻以来、日本の軍国化は一気に進んでいる。その自覚が日本人に無いのが、一番怖い。憲法の制限などまったく無視して、敵基地攻撃型ミサイルの配備が準備されている。これを憲法違反ではないと考える政府なのだから、憲法の歯止めはもうないに等しい。
政府が憲法を無視して、敵国へ攻撃できる兵器の準備をしようという姿に、多くの国民が不安をかんじて、平和主義への揺り戻しをしている気もしている。これで憲法に自衛隊を明記し、敵基地攻撃まで自衛完全な軍国主義国家になると言うことになる。
沖縄のミサイル基地化が、本土のための捨て石作戦である事は明らかなことである。これでも沖縄の自民党の国会議員は、ミサイル基地賛成を主張している。沖縄を見捨てることになるにもかかわらず、何故そんな馬鹿げた考え方にとりつかれたのだろうか。それを支持する創価学会会員の考え方は、まったく汚い。
石垣でも平和外交が不十分であるという、議員が7割になったと八重山毎日新聞に書かれている。誰がどう考えても、平和外交が必要だと考えるのはごくごく当たりまえだろう。ところが、軍事力の強化の背景がなければ、外交など出来ないという議員もいるという。その人の外交がどんな外交なのか、聞かせて貰いたいものだ。たぶん北朝鮮のやっていることを外交と考えているのだろう。
後ろ手に武器を隠しての外交では、到底今の中国には無駄なことだ。中国はアメリカの軍事力は恐れているだろうが、日本の軍備力など知れていると考えている。すでに、軍事バランスで言えば、大きな開きが出来ているのだ。南西諸島から一斉にミサイルを発射したとしても、中国の2百以上あるミサイル基地のすべてを叩くことは出来ない。
先制攻撃をしたところで、はるかに多くのお返しが来るのだ。しかも、その軍事力の差は今後年々大きくなる。日本が可能な限り軍事力の増強を行ったところで、中国の軍備拡大と比較すればその差は開くばかりだ。だから軍備をしてから外交という考えは、いつまで経ったところで成り立たないのだ。
弱い国であっても、武力を持たない国でも外交は可能だ。そもそも平和外交はまず互いをよく知り、互いが役に立つ関係を模索することだ。昔、卓球選手が試合をしたことを、ピンポン外交と読んだことがある。外交というのはそういう住民の交流からだ。
まず、互いを知る。互いが人間である事を分かれば、戦争は回避できる材料になる。私は中国人をある程度知っているつもりだが、中国人は独裁者をむやみに崇拝するような、愚かな人達ではないと言うことがよく分かる。今習近平が支持されているのは、中国の国力増強をめざましく進めているからだ。
経済を一気にここまで成長させ、世界一の経済大国にに成ることも、視野に入ってきている。商業主義の中国人はそのことを何より評価している。まだまだ、経済格差が国内にはある。汚職も賄賂もなくなったわけではないだろう。
中国の人達は何故、中国が素晴らしい経済成長を遂げたのかをよくよく理解している。だから、一定習近平の専制政治を評価し支持しているのだ。つまり、中国人自身が、自由主義ではここまで経済成長が出来なかったことをよく知っているのだ。
まだまだ地方の経済格差も大きい。中国人はまだ習近平を支持するはずだ。それは経済が良くなってゆくには、一番良い選択だと考えているからだ。しかし、いつかその限界が来ることもよく知っている。その時が自由主義が評価されるときになるのだろう。
そう遠くないはずだ。その時に中国が民主主義へ転換できるためには、日本が見本になるような素晴らしい民主主義国になっていることだ。日本が腐った民主主義国家で、経済の衰退だけが目立つようでは、とても中国の方向を変えるような影響力は持てない。
先ずは日本が中国人が、日本を見てあんな国も悪くないと考えるような国になることだ。つまらない軍国化は中国の二の舞である。日本がどこまでも平和主義を貫き、世界の見本になるくらいの姿勢が必要なのだ。あくまで専守防衛である。攻撃する能力がないことが、日本の外交姿勢の強みなのだ。
日本に世界に唯一の平和憲法が出来たことを祝う日に、改めて、憲法を守り育てることを考える必要がある。先ずは憲法裁判所を作り、憲法の客観的な評価をしなければならない。憲法は国の政治の基本を決めているものなのだから、憲法の正しい安定した解釈は不可欠である。
現状では国の
憲法の拡大解釈ばかりが目立ち、立憲主義が揺らいでいる。これでは、憲法の正しい改正どころではない。憲法論議をするならば、どうやって憲法に従う政治になるのかを話し合う必要がある。憲法はまだ確立されていないとも言えるのだろう。
憲法の拡大解釈ばかりが目立ち、立憲主義が揺らいでいる。これでは、憲法の正しい改正どころではない。憲法論議をするならば、どうやって憲法に従う政治になるのかを話し合う必要がある。憲法はまだ確立されていないとも言えるのだろう。
侵略戦争をしたことを、深く反省して出来た平和憲法である。東アジアの国々へ、「日本は今後軍隊を持たないので、侵略し人を殺してしまったことを許してください。」こうした謝罪のための憲法でもあるのだ。日本国憲法は世界の平和の為の唯一の希望である。
もし日本が平和憲法を諦めてしまえば、世界に希望がなくなったと言うことになる。不安はあるかも知れないが、互いの交流から始まる外交を粘り強く続ける必要がある。