仏教とスワイショウのこと

   



 毎朝スワイショウを7分間行う。動禅の準備運動である。スワイショウから始めるとやる気が振り出されてくる。おっくうな気持ちをふき飛ばしてくれる。嫌だなと思っていても、ともかくスワイショウだけでもと考えて始める。そうすれば何とかなる。

 身体を一定の速度で繰返し回転することで、脳内ホルモンが分泌される。
神経伝達物質の「セロトニン」の活性が高まる。セロトニンを増やすためには朝日差しを浴びながらスワイショウを行うのが一番である。セロトニンには痛みを軽減したり、気分をポジティブにしたりする作用がある。

 スワイショウは達磨大師が中国に伝えた物とされている。1500年ほど前のことである。インドでは3000年ぐらい前から行われていたと考えて良いようだ。いまに伝わる最も古い継続されている体操といっていいだろう。それほど素晴らしい体操で、スワイショウだけを朝晩40分やる人もいるくらいだ。

 原始的宗教に於いてぐるぐる回ることで神経を酩酊させてゆくものがある。スワイショウにはそれと共通のものがある。要するに眼を閉じていたとしても、ぐるぐる回れば目が回る。三半規管の中にあるリンパ液が動かされて、流れが出来るためである。

 達磨大師はインドから来た僧侶であるから、ヨガ的な行をさまざま携えてきたのだと思う。達磨大師は少林寺を創建した。少林寺で有名なのは仏教よりも少林寺拳法である。中国では仏教は変貌して衰退した。文化大革命では仏教は弾圧された。金魚や鳥を飼うことも否定された。

 中国では紀元1世紀頃には仏教が伝わり、経典の翻訳が盛んに行われている。400年前後に中国で仏教への関心が高まった時代があり、鳩摩羅什と言う人が政府の命を受けて、経典の完全な翻訳をする。500年頃になり、達磨大師が中国に渡り禅宗を確立する。そのころに日本にも仏教が伝来することになる。

 中国の仏教の受け入れ方と、日本での仏教の受け入れ型の違いは興味深い。日本では仏教は国教として受け入れられる。国の統一の象徴として仏教寺院が建立される。天皇は神主であるわけだが、その後も天皇が送検する寺院は多い。不思議な仏教の受け入れ方だと思う。そして、インドでも中国でも衰退するが、日本では古い形のままに継続されている。興味深い点は経典も日本語訳は行われなかった。

 達磨大師は禅宗を作った人でもあるのだが、中国の武術の基になる人でもある。インド的な行が中国に入り、老荘思想的な哲学と融合されて行く。その過程で、インドから仏教と共に伝えられた文化が、中国で様々な物に分かれてゆく。インドの思想文化は先進国中国以上に深化していたと言うことなのだろう。

 900年頃になって禅宗という仏教の座禅修行が盛んに行われるようになる。釈迦は瞑想によって悟りを開かれたとされるが、姿は座禅と近いものであるが、インドに於いて釈迦の時代には座禅という物はない。禅という考え方は中国で生まれた物だ。

 中国で仏教の修行の形は、次第に座禅に集約されていく。一方で、武術としての拳法や、養生法としての気功術なども、中国では道として広がってゆく。中国化した仏教は次第に弱まって辺境に残る形になる。チベット仏教などである。

 中国人の優れたところはインドの膨大な哲学的な仏典を中国語に翻訳した所だ。日本人は仏典の翻訳を今もってしていない。そのために日本の仏教には原典がない。難解な、理解不明な言葉の羅列が、お経として読み上げられているままである。

 日本のお経には漢文として意味が中国語に翻訳された物と、サンスクリット語の音を写したものがある。日本ではお経の意味は、まじない文のような物で、どうでも良かったような所がある。道元禅師の只管打坐であれば、お経の解釈などする必要がないと言うことになる。道元禅師の文章も意味を伝えようとする意志はないかのようだ。

 この日本人的な仏教の受け入れ方は片手落ちなもので、仏教が理念的に問われない原因となっている。日本人が無宗教だと言われる原因の一つだ。道元禅師の正法眼蔵の難解さもかなりその当たりに由来する。難解な理念を棚に上げておいて、実戦としての座禅修行が、中国以上に日本で専心されてることになり、いま現在も禅の修行は熱心に行われているが、正法眼蔵の講義はない。

 禅に於いて、老荘思想が影響した原因は、中国語訳をする際に、当時盛んであった老荘思想の書物から翻訳のための語彙が使われたことにある。しかも老荘思想の「無」という思想は禅における「空」の概念に近いものがあった。実際には空と無は違う内容のものだとおもう。

 中国では禅宗と浄土宗が残ることになったのは、この二つの宗派が実践的仏教であり、中国人の体質に適合したと言うことなのだろう。インドにあった論理を重視する哲学的仏教から、行としての道を重視する実践仏教へと変化をしてゆく。中国ではタオが重要な思想なのだ。

 スワイショウのことであった。中国ではスワイショウが一つの道となり、気功術になる。私は眼は閉じて行う。その方が集中して行える。重心を低くして、空手の立ち姿のように立つ。そして腰の骨の上に、背骨をのせ上体をまっすぐに載せる。

 載せた上半身が腕の振りによって、ゆっくりと大きくひねられる感覚である。身体をひねるのではなく、腕の振りに釣られて、腰に乗った上半身が振り回される感覚である。気功では呼吸を意識することが重要である。スワイショウは胸回りの呼吸筋を解きほぐす運動である。

 スワイショウを行うときには呼吸を意識すると呼吸筋が緩むことが感じられるようになる。自分にあったゆっくりした呼吸をしながら行う。呼吸は胸でするという意識ではなく、お腹でする気持ちで行う。これは難しいので、あくまで出来る範囲で呼吸を意識して行うようにしている。

 年齢と共に弱まる肺の機能がスワイショウを継続することで、維持強化されることになる。コロナで年寄が死ぬ率が高いのは肺の機能が衰えているからである。肺は鍛えることの出来ない器官で、必ず年齢と共に衰えて行く。だからこそ呼吸を司る呼吸筋の強化が必要になる。

 肺を劣化させないためには良い空気を深い呼吸で取り入れる。乾いた冷たい空気は良くない。冬はマスクをしているのも良い。たばこや汚れた空気は肺を痛める。その点空気のきれいな、湿度がいつもある石垣島は肺の弱い人には良い環境だと思う。

 スワイショウは元気の出る体操である。だから3000年も続けられているのだろう。朝日のでと共にスワイショウを行うことで、明るい気分で一日送ることが出来る。動禅もヤル気で行うことが出来る。ともかく何の運動も辛いときでもスワイショウだけでもやるといい。

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