73歳を考える

   



 73歳になったと言うことが、何か信じがたいことのようだが、間違いのないことだ。自分が歳をとったと言うことが自覚できないまま生きている。ボケては居ないつもりだが、絵を描いているとついつい時間を忘れて、あの頃と何も変わらない気で生きている。

 あの頃というのは金沢に居た頃のことだ。あの馬小屋で寝て、目が覚めたら、石垣島にいるという感じだ。今年は9月に美術部の同窓会がある。同窓会が出来る状態とも思えないが、今やらないとどうも参加メンバーの減少が始まっているらしい。同窓会がなくても水彩人が終わってから、金沢行ってみたくなった。金沢で絵を描くのもいい。

 本当なら今頃アトリエカーで写生旅行をしているはずだった。それが、コロナで難しくなった。アトリエカー旅行をためらっている内に、のぼたん農園の大冒険に出発してしまった。このままでは何時アトリエカーの写生旅行に行けるのかが分からない。のぼたん農園の農閑期はいつ来ることか。

 体力はまだ落ちていない。農作業を1日してもそれほど疲れたと言うことでもない。もちろん昔のように、真まで疲れてしまうような過酷な作業はしていない。ゆっくりやれば何とかまだ働ける。これから始まる73歳からの一年は今までとは違う一年と成るわけだ。
 徐々に体力が衰えるのかも知れない。それでものぼたん農園が出来上がるまであと4年半は身体が使えないと困る。77歳まで大丈夫かどうかはまだ分からないが、幸い今のところ身体は何も問題が無い。結構80歳代でも働いている農家の方は居るから、今の調子なら大丈夫だと思っている。

 健康維持の為には毎朝の動禅体操だけは欠かせない。最近動禅体操は時間の合図でやっている。タイコが六分置きになるアプリがある。「hinokoto」というアプリだ。このアプリの御陰で数を数えないで動禅が出来るようになった。以前は背伸び立禅を300まで数えていたのだが、これがいくつまで数えていたかすぐ分からなくなってしまうのだ。

 そこで、300を六分ということにした。まず、最初に「スワイショウ」六分でだいたい100往復。スワイショウももう少ししても良いのだが、今は準備体操としてやっている。前はイーチと往復しながら数を数えたのだが、それがなくなってスワイショウに集中できるようになった。

 スワイショウは今に伝わる最も古い体操らしきものらしい。何千年もの間、人から人へと伝わり、この体操は残った。確かに身体を回す運動というのは、単純な動きでありながら、精神を酩酊させる目の回る効果があり、宗教の中にも取り入れられている。トルコのメヴラーナ教団の回転ダンスであるセマーはひたすら回り続ける。

  インドのヨガの中から生まれたと想像している。今でもヨガの流派によってはやはりスワイショウから始める。それが達磨大師によって、禅の哲学と共に中国に伝えられる。達磨は1500年前にスワイショウのことを記録しているという。達磨とは別に中国にそもそもあったと言う説もあるようだが、座禅という修行法が達磨大師によって中国に伝えられたとすれば、スワイショウも同じと考えるべきだろう。

 ただ達磨大師が伝説的な存在であるとしても、大きな流れがあってインドから中国に伝わった仏教の流れに従い、ヨガの行のようなものが渾然となって入ったと考えることは無理がない。それが老荘思想と総合化されながら、仏教の修行に整理されていったのではないかと思われる。

 話がそれて行くが、空海は804年に、遣唐使として渡った長安で真言密教第七祖・恵果大師に師事し、一年数ヶ月で密教の奥義をすべて伝授される。何千人といた東アジア全域から集まった僧の中で空海が選ばれてすべてを伝授される。

 死を予感した恵果大師は空海に急ぐように伝授を行いその直後亡くなられた。恵果大師から学んだ経典はサンスクリット語である。そもそも密教はインドから伝えられた教えなのだ。多くのインド僧が長安で仏教の修行を広めていた。その中に禅の修行があり、座禅だけでなくヨガの影響にある動禅も存在していたと考えて良いのだろう。

 禅は哲学的には中国化してゆくが、その修行法の中にスワイショウや八段錦、太極拳を生み出してゆく。そのすべてが動禅と考えていいのではないか。動きもインド的なヨガとは離れて、少林寺に代表される武術として変化してゆく。

 少林寺拳法や太極拳である。何故、平和の教えである仏教が武術と混合したのかが不思議である。そこが中国文化の特徴なのだろうか。仙人思想のようなものがあり、身体の鍛練に収斂して行く。超人思想のようなものかも知れない。ヨガの持つ平和思想が一歩違うと、オウム真理教になる。

 閑話休題。八段錦はタイコ2つの12分。そしてその最後の8段の爪先立ち背伸び禅をタイコ3つの18分。太極拳もタイコ2つで12分。すると太鼓8つの48分で一通りの動禅が終わる。その後、立禅を落ち着くまで行い終わる。おおよそ50分前後である。この一通りの体操を行として行う。

 太鼓の合図で動きは数を数えることから離れ自然に行うことが出来るようになった。その間に太鼓が適時に鳴るという感じだ。数を数え
るという事から離れて、心の置き所が自由になった。禅の心境がわずかに感じられるようになったのかも知れない。

 動禅の心境は絵を描くときの心境を育てる。絵を描くときは忘我的な心境である。絵を描くことにとらわれているから無我夢中である。しかしこれは禅の言うところの空の心境とは似て非なるもののようだ。何もない空の心境は、心が満ちて、何にもとらわれない張り詰めた心境である。

 動禅をしながら、数秒間ぐらいなのだが、こういうものかも知れないと感じるときがある。大分ボケてきたのかとも思うが、ボーとしているようで、意識の集中がある。しかも数を数えるとか、脚の痛さに集中するのではなく、空に集中するというような不思議な感触がある。

 絵を描くことにとらわれないで絵と一体になって絵を描く。こういう心境で絵を描きたい。73歳の課題だ。あと二七年間の一日一日を大切に生きたい。どうも若い頃はどうしてもたどり着けなかった心境に、73歳になりたどり着けそうな気になっている。

 動禅の御陰なのか、のぼたん農園の冒険の御陰なのか、それとも絵を描いている御陰なのか。いまの石垣島の暮らし至る事ができたことを有り難いことだと感謝している。最後には石垣島で暮らしてみようという判断は間違いではなかったようだ。73歳のこの一年を大切に生きよう。
 
 

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