木工の楽しみ

   




 アトリエカー用のイーゼルを作った。材料はカバザクラだ。工作しやすい材料なので、まるで松本民芸家具の作家が作ったかのようだ。高さは低い段と高い段の二段だ。50号までは乗せることが出来る。バンドは車が走っているときに動かないためのものだ。

 ゆっくり木工をやる時間が取れるようになった。これも石垣島に来てやっとというか、コロナで落ち着いたと言うことだろう。それでも石垣島に来てから、テーブルを4つ作り、収納を兼ねた書のためのテーブルを作り。陶芸作品展示棚を作り。そして、絵の具入れ引き出し、筆立てを作り、今度は画架である。イーゼルと言うより、画架という方だろう。木工はやはり好きなのだ。あれこれ作っている。

 持っている水彩用イーゼルではアトリエカーには適合しない。少し位置が高すぎて座って描くにはうまくない。残念ながらそれが使えないので、この際アトリエカーに最適なものを作った。少々木組みを凝って作ったところが自慢だ。しかし、ボンドとネジ止めもしているところが素人だ。

 組み立てたときに実にがちっと組まれて安定した。少し歪んでいたことがかえって幸いした。ゆがみを無理に組んだのでかえって少し空きが出来ていたので、ビシッと組み上がった。と言いながらも正確に言えば、そのために全体がひねれている。ただし、そのひねれは実用には差し支えが無い。

 道具が良くてもいい絵が描けるわけでは無いが、ダメな道具立てではろくな絵が描けないと言うこともある。周辺に気になるところが一切無いようにしないと、絵に専念が出来ない性格なのだ。もう木工もこれで打ち止めのようだ。材料が尽きた。

 小田原から運んだ材料はすべて使ってしまった。材料を無駄にしては申し訳が無いと言うことで作っていたこともある。小田原では木工の材料があると、いつか使おうと思い集めていた。随分集めたのだが、運びきれずにまだ小田原に残っているものもいくらかある。

 小田原は木工の街だから、木工所もあちこちにある。建具屋さんや樽屋さん、漆器屋さん、箱根細工と様々な職人がいる。そうした職人の作業は見ているだけで楽しいものだ。田んぼをやっていた桑原には木工団地という所もある。そこには木工所が集まっていた。

 そこの木工所が閉鎖されたときに、残っているものを廃棄する前にもらえることになった。そこで様々な材料を貰った。片付けと言っても焼却炉で片付けの業者が燃やしているのを横目にしながら、貰った。面白いのだけど使えないようなものばかりで欲しいのだが困った。

 もう一回はやはり木工団地にある大きな材木屋さんが、倉庫を壊すことになり、積み上げてあった材料が売りに出た。このときここで電気工事をしていた人が農の会の仲間で話を繋いでくれた。ケヤキの直径一メートル以上ある輪切りを8枚で確か一万円で買った。それは今回、陶芸作品棚になった一部である。

 テーブルもいくつも作ったのだが、暑さが15センチもあって、持っている電動のこぎりでは手に負えないで苦労した。そのうちの2つが今でも小田原の家に残っている。残っているテーブルと言えば、今小田原にある大きなテーブルはケヤキの大木を切り倒すところから、かかわってつくったものだ。

 下手くそなのだが、面白いテーブルである。もう30年も前に作ったものだが、一番有効に使ったテーブルかと思う。こうしてみると随分あれやこれや作ったものだ。生活のためには木工は絵よりは役立っているのかもしれない。そうだ、絵は役立たないからこそ良いのだ。

 木工が好きになったのは鶏小屋作りからだ。小学生の時には鶏小屋ばかり作っていた。たぶん何十となく作っては壊ししていた。兄と二人でけんかしながら作っていた。喧嘩がひどくなり、結局一人で作ったことも良くあった。その頃から、大工仕事にはそれなりの自信があったのだ。

 鶏小屋作りでは鑿で木組みまでやれるかと言うことが課題である。ただ突き合わせで釘でうつのでは、強度が出ないし、面白みも無い。そこで木組みに一日かけて準備をして、製作に一日かけるというのが定番である。扉作りとか、産卵箱は工夫をした。

 いつか本当の人間の小屋を作りたいと言う夢があった。それが小田原で檜を切り倒すところから始めて小屋を作ると言うことを実現することができた。最小限の小屋作りである。最近土台のところが腐ってきてしまった。それは床下にものを詰め込んだからだ。床下は高床にして、風通しを良くしていたのに、小屋を貸した人が、薪を積み込んでしまって腐らせた。

 タングドラムも随分と作った。これも木工と言えば木工である。木魚に音階を付けたようなものだ。良い音が鳴るドラムができて、一段落したが、20台は作った。気に入ったものを石垣にまで運んでいる。時々叩いてみると工夫して試行錯誤した頃が懐かしくなる。

 楽器で良い音を出すためにはやはり材料である。パドックと言うアフリカの材木が一番いい音になった。木琴の材料に使われるというので使ってみて成功した。黒檀や紫檀のものも作ってみたが、樹木から響く木霊のような音となると、パドックである。

 日本の材料でと言うことで工夫もした。堅い木なら良いかもしれないと樫の木で作ったものもあるが、作ってから、10年ぐらい経つが、未だ良い音にならない。堅いだけではダメなようだ。難しいものである。

 書いていて思いだした。美術教師をしていた頃には組木を授業でやっていた。平面にまず、どうぶつを入れ込む図案作り。猫を10匹とか、アフリカの動物たちとか、空飛ぶ昆虫とか、好きなテーマを決めて、平面の中に図案化して行く。図案はどうぶつなどで埋め尽くされて、隙間が出来ないことが条件である。

 その図案を今度は、糸鋸でくり抜く。一つずつが自立して立つような形であれば最善である。たとえば10匹の猫に色づけをする。並べても面白いし、組み合わせて平面にしても面白い色彩になるように工夫をする。

 美術の授業はすべて、自分がおもしろいというものでやっていた。今思えば良い授業案ではないかと思う。教科書会社の社長が是非取り上げたいと言うことで、進めたのだがその直後にその方が亡くなられて、その企画は没になった。

 世田谷学園では大理石モザイク、陶芸、印鑑作り、額縁作り、木工で輪を作ると言うものもやった。スプーンを彫り、その手元に輪を作り、その輪の中にもう一つ輪が通った形をくり抜く。割れないでくり抜き離れたならばAである。生徒と一緒に楽しんでやった。

 工作としての木工が面白い理由は木工が自分の生活に役立つものという点だろう。そも意味でもう木工はやらないのだろう。少し寂しい気がしてくる。

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