動禅の工夫 補足
動禅を続けている。座禅とは少し違うなと思いながらも、かなり熱心に続けている。毎朝六時から50分ほど行っている。身体の中の滞りが抜けて流れるような気持ちになる。続けている間に、楽しみになってきている。座禅は始めるときに緊張をしてしまい覚悟が必要だった。
苦行というのはどうも我慢が必要で、我慢が先に来てそれを乗り越えることに精一杯なところがあった。動禅はその点気持ちの良いものだから、覚悟はいらない。気持ちの良い方に良い方に進めば良いだけである。この楽な好きな方向に進むところが、ダメでもいいジャンには合っているようだ。好きなことしか続かない。
小田原に移った時に福島原発の事故があった。石垣に移った時にコロナの流行である。何か運命的なものを感じる。ここまで来てみると人生には自分にはどうしようもないものが働いている。コロナがまるで動禅の工夫を深めるようにしてくれたようなものだ。
小田原の原発事故の時には人の関わりを考えろと言われたような気がしたが、石垣島に来てコロナが流行して、自分の内なるものを見つめてみろと言われているようだ。不要不急の自粛老人に取っては実に時節をえている。
動禅の一通りの流れをもう一度注意点など交えながら書いてみる。
明るくなる頃に始める。季節によって時間が変わる。始める時刻にはまだ床がかすかに見えるくらいの時間であり、終わる頃にやや明るくなってくるという頃が良い。時計のない時代に始まったものだから、明るさで行動していたのだろう。石垣は時差が一時間あって、朝が1時間遅い。
世界が白み始める時間というものが、心を解放するには一番良い時間だからだ。動禅も座禅も同じことである。先ずは、静かに立ち身体を緩める。ゆる体操という身体の動かし方の体操がある。身体からすべての力を抜いて、身体をゆらゆらと揺する。案外力を抜くのが難しいと言うことがあるだろう。
繰り返している内にじょじょうに力を抜くこつがつかめると思うが、心の力もその時には同時に抜けている。動禅は理屈ではなく、身体が覚えるものだから、手順通り繰り返すほか無い。一年やれば一年だけのことはある。10年やれば10年の物になる。そして生涯行えば、動禅の生涯になる。
身体が緩んだならば、スワイショウをゆったりと始める。目は閉じて行う。半眼が出来るようになったらば、目を開けて良いが、普通半眼は出来ないので目は閉じて行う。半眼とは目を開いていながら、意識は見ていないという状態である。
腕を振り回すことを繰り返すだけなのだが、吸う呼吸で往復。次に吐く呼吸で往復である。数を心の中で数えながら行う。数を忘れることもあるだろうが、又適当な数から行えば良い。その程度に数にはこだわらずに数える。
スワイショウは背骨の周りを緩め、ほぐすための動きである。背骨の周りがほぐれると言うことが心をほぐす事になる。だから動禅に入るためにはスワイショウから始めることが大切なのだ。大体50往復が目安だが、100やったからと行って問題はない。緩んだなと思えるまでやればいい。
動きとしては単純だが以外に難しい。両手を比較的高く、並行にして投網のように投げ出す。緩んだからだが、背骨を中心に回ると言うことだが、力は入れないで、腕の遠心力で身体が回ってしまうと言うことになる。
背骨をひねると言う動きにを行わない。筋肉に力を入れて背骨をひねろうとすれば、変な力が加わリ背骨を痛めかねない。あくまで背骨の周囲をほぐすものだ。これが動禅だというようなスワイショウを自分でやりながら見つける。
次に八段錦に入る。続けて目を閉じて行う。八段錦は呼吸法である。肺を司る筋肉の体操である。呼吸は鼻の穴を開くだけで自分の最大の呼吸を行う。自然に鼻の穴を空気が通過する。意識して吸ったり吐いたりするのではない。あくまで空気が開いた穴を通る。だから、一呼吸を長く行う。20ぐらいは数える時間一つの呼吸を、一つの動作に合わせて行う。
少し呼吸は苦しいぐらいである。酸素を使い切って喉がいがらっぽくなるくらいまでやる。動きの間鼻を開いているのだが、動きが止まったときには呼吸求める。吸いきって止めるときと、吐ききって止めるときがある。この止めている動きは筋肉も精一杯使っている形である。止めて20を数える。少し辛いくらいの動きをする方が良い。
八段錦で重要なことは全力を出して行うと言うことだ。スワイショウも太極拳も緩めて行う。しかし八段錦は筋肉体操だと考えて、汗をかくほどに力を入れて行う。身体を落とす動きであれば、できる限り低く落とす。身体を曲げるのであれば、できる限り深く曲げる。
次は太極拳24式を行う。太極拳に入る前に、もう一度八段錦で固まった身体を緩める。緩んだところで太極拳は行う。今度は目を開いて行う。自分を空から見ているような視線で、自分の動きを思い描きながら動く。動きにすべての意識を集中させる。
ゆったりと緩んだまま動くと言うことが肝心である。筋肉を使うと言うより、体重の移動が中心である。正しい重心移動を心掛ける。足の上に身体が柔らかく乗っているような、体重の無いような動きを目指す。
力を入れていないにもかかわらず、人から押されたとしても動じないような安定感がなければならない。動きは遅い方が望ましい、どうしても早くなる。動禅としては、どこまでゆっくりできるのかと言うぐらいの気持ちの方が良い。
太極拳が終わったところで立禅に入る。正しく立ち、手を丹田の前で重ねて、気持ちが乱れない間は立禅を続ける。このときが無念無想に入りやすい。動禅の間は身体の動きという物に意識を集中させることで、雑念を払う。座禅よりも集中する物があるので、雑念を払いやすい。
立禅に入るとただ意識を流していることになるので、雑念がやってくる。雑念が入ったときに立禅を終わりにする。最後にスワイショウを10回ほど行い動禅を終わる。
やり方にもよるが、ここまで行って50分弱である。一香ということになる。一香とは立てた線香が燃え尽きる時間である。人間が集中できる時間と言うことであろう。実は私の場合は八段錦を簡略型にしている。
その分この後に膝蹴り体操30回三本。とV字バランス90秒を行うことにしている。これは長年やっていたので続けている。これは夕方にもう一度、スワイショウ、膝蹴り体操、V字バランスと行い、アトリエの拭き掃除を行う。
これも合わせて一応動禅と考えている。