石垣島崎枝で絵を描かせていただけることになった。
石垣島で田んぼを描かせて貰っている。車を止めて車の中で絵を描いている。雨が突然に降ることが多い。風も強い。陽射しが強烈。野外で長時間水彩画を描くことは無理と考えた方がいいくらいだ。石垣島では車アトリエはとても良い考えだと思っている。
風景を描くならまず車の免許をとるんだな、こう言われたのは春日部洋先生である。それもあって40歳になってから免許を取りに行った。春日部先生は写生に日本中を歩いていた。そして、どこのホテルの何の部屋からは、絵が描けるというような克明なメモを持っていた。私が今度、どこに描きに行くというと、メモのノートから、何月頃がいいよなど教えてくれた。
ダイハツタントを使っている。中間の柱がなくて、広く扉を開けることができるのがよい。外が広々と見える。軽自動車でないと中々止めておけない。描きやすいサイズは中盤全紙ぐらいだろう。30号ぐらいも描くことはできるが、離れてみることが出来ないので、少し難しい気はしている。
絵は立って描くという人もいるが、立って描いたことはまずない。水彩画は画板を寝かせて描くものなので、机の上や床の上に置き、上から見て描くことが普通である。そもそもそれが日本の伝統的な描き方である。
離れて絵をみたいときには車の外に出てみている。野外で見る絵と、持ち帰って家でみるのではどこか違うのだが、絵は時々離れてみた方が良いのは確かなことだ。
次の車はもう少し大きい車にしたいとも考えて探すのだが、案外に適当なものが見つからない。大きすぎると、道路脇に止めておくことはやはり邪魔になる。細い道を行かなければならないことも良くあるから、やはりタントがいいのかと思う。今度のタントは椅子のアレンジが前より具合が良いようだ。運転席も助手席も後ろに倒せる。
車の中で絵を描くようになり30年になる。絵が描ける場所を探して車を止めて描かせて貰わなければならない。どこでも描くことが出来るというものでもない。石垣島の方は快く受け入れてくれる。実に有りがたいことだと思っている。良い絵を描いてお礼をしなければと思うがこれはなかなかである。
今度崎枝で新しく絵を描く許可をいただけることになった。崎枝の田んぼのみえる最高の場所である。崎枝で描かせて貰い始めて1年半が経った。崎枝で北海道から見えて家を新しく作っている方がおられ、その方にいろいろうかがっているうちに、地域の様子が少し分かった。一年半立っても人と話すことはほとんどない。
地元の方に絵を描きたいのだが、と思い切ってお願いしてみた。そのかたが偶然、そのよい場所の管理をされている方だったのだ。すぐ地主さんに電話をしてくれて許可を得てくれたのだ。草など刈っても良いかお聞きしたところ、ユンボが来るのでキレイにしてあげるというので、そこまでお願い出来ることになった。そうしたら、すぐにやってくれた。
草を刈ったらば、前の木が邪魔をしていることがよく分かったので、その木も切ってもらえることになった。まったく夢のような話である。こんな幸運がどうして起きたのかと思うほどだ。その場所が理想的なのだ。ともかく美しい場所である。
左側にあるのが、大きなタコノキ。この木を2本切ってもらえることになっている。木を切るとタコノキの木陰で絵を描けることになる。いかにも亜熱帯風な環境である。大きなやえやまヤシの木も2本ある。
良い場所で描かせていただける。こんなに嬉しいことはない。もし絵がすこしでも良くなれば、この場所のおかげだろう。この場所には2つの良さがある。まず田んぼが下に見える。この点が変えがたい絶好の地点だ。田んぼを取り囲む海と山の空間の広がりがすばらしい。
まるで田んぼが神聖な場所に見えてくる。田んぼにも何度も降りたことはあるのだが、降りてしまうと形が見えなくなってしまう場所である。俯瞰でみるからこそ石垣島の田んぼの全貌が見えてくるようだ。
絵を描かせていただける場所は、150坪ほどの空間が3方向取り囲まれている。そのことがスゴク安心できる空間になっている。北側がアレカヤシ、ヤエヤマヤシ、南側がタコノキ、東側がトックリヤシ、どの木もかなり大きな木である。この見事な木で囲まれていると言うことで、実に独特の空気が生まれている。気がたまるような場所になっている。私の御嶽である。
まるで絵を描いてくださいというような、呼ばれているような空間になったのだ。先日まで入ってもいけない場所だったのが、見違えるような場所になった。お話だと当分の間そのままだから、描いていていいよと言われている。草刈りぐらいしてくださいと言われた。ありがたい夢のような話である。
良い絵を描いてお礼をしたいところである。ここから見える田んぼは相当古くから田んぼであったとは思われる。「トウマタダー」松の木のある田んぼという意味らしいが、と呼ばれる田んぼがある。江戸時代にはすでに田んぼだったのではないかと思われる。本格的に田んぼが広がったのは戦後開拓らしい。
歴史的には1500年頃にはすでに集落が記録されている。1707年には人口が300人である。1771年の明和の大津波の時には急速に増えて729人の人口があった。それが崎枝での最高の人口の記録である。1924年大正13年に崎枝は廃村になる。マラリアの流行で人の住めない場所になった。
80年前ぐらいが一番日本が耕地になったのではないだろうか。そして、戦後開拓で様々なところから石垣島に入植がされた。崎枝もさまざまなところから来た人でできた集落である。日本で最も美しい集落である。
風の強い場所だ。両側が海になっている半島の付け根の鞍部の上に集落ができている。なぜ風の当たらない斜面の下に集落ができなかったのだろうか。御嶽は斜面を少し降りたところにあるから、古い集落はそちらの方なのかもしれない。
鞍部に集落があれば、どちらに行くにも便利は良い。しかし鞍部で水はどうしたのだろうか。そういうこともだんだんにわかるかもしれない。山の斜面は一度火事で燃えてしまったらしい。そのご松が植林されたそうだ。
今も2件の家が作られている。これほど美しい場所だから、集落は今後も人が少しづつ増えてゆくことだろう。レストランが3つある。昼食を食べるには全く困らない。ただ、今は申し訳ないが入らないことにしている。朝ファミマでサンドイッチを買う。
今日あたりは木を切ってくれるかもしれない。よく沖縄の人はすぐやってくれないという話があるが、そんなことは全くない。いつも素早くやってくれる。田んぼを見ると、仕事は徹底していることがよくわかる。
のこぎりと鉈を用意した。木を整理してよいということなので、自分でも具合よく整枝しようと考えている。確かに手つかずで長年置いてあったので手入れをした方がいい。