山本太郎の消費税議論で抜け落ちているもの。
いつも描かせて貰う名蔵湾を立て構図にしてみた。面白いところがある。
最初に書いておくが、山本太郎に期待するところはあるが、消費税には賛成である。消費税を議論しているのか、税金を議論するのかと言えば、まず税金というものに賛成である。国というものを成立させるためには税金は必要なものだ。税金を否定する人の消費税論は無駄である。
税金の必要性を認めたとして、もう一つは使い方の議論がある。何に使うかによって、払いたい税金もあれば払いたくない税金もある。それは国民一人一人の立場で、使い方の希望は異なる。国の予算については、わかりやすい公正な議論が国会でされていなければならない。
その意味では使用目的を限定できる税制はとりいれて欲しい。石垣島の街や海岸ををキレイにする費用であれば喜んで払いたい。田んぼを続けて貰う費用ならぜひ払いたい。小学校に学校田をする費用であれば払いたい。
税金の使い道の証拠である公文書もできる限りすべてを記録して、永久保存しなければならない。現代ではそれくらいの文章量は、当たり前に保存できる。手書きの時代とは違うのだ。桜を見る会の参加者名簿を捨てる必要がない。保存管理は税金を使う以上行政の義務である。非公開や公文書の書き換えなどするから、税金が払いたくない人が増えるのだ。
防衛費を削ってと言う議論はいつも共産党は主張する。私も同じであるが、医療費を削ってとか、公共事業費を削ってとか、要するにどのようなバランスで税金を分配するのが、すべての国民に公平であるかが問題なのだ。この公平が担保されていないと税金の集め方の議論は混乱する。その話に戻れば消費税の議論も成り立たない。
税金はどういう使い方をしたとしても、納税者の3分の1は税の使い道に不満がある。三分の一の人は大いに満足であろう。そして、三分の一の人はそんなものかと言うことになる。つまり全員が満足とは絶対にならないと言うのが税金の使い道である。
こんな行き詰まりのある税金ではあるが、それでも税金が必要と言うことを合意した上で書く。税金をどういう形で徴収するのが良いか。基本原理は多様であるほど良いと言うことだ。多様な方が公平性に近づく。例えば酒税ですべてをまかなえば、酒飲みだけの負担になる。まさかと思えるが明治には三分の一が酒税という時代があった。
国の借金を考えると、税金は足りなくなっている。主たる原因は老人が増えたからである。老人は税金の払いが少ない割に税金を使う。税金が足りないのであれば、若い人に厚くして、老人は我慢するしかない。その意味で消費税は老人も払う。
消費税は所得の高低にかかわらず均等に課税されるから、低所得者には負担が大きくなると言う税制である。問題は10%と言う税率が行き過ぎかどうかである。なくすという山本氏の考えは少し無理がある。
一方で所得税は累進課税であるので、高額所得者には累進性を高めれば、重い税金になる。その累進課税の程度が問題なのだ。累進課税をもっと大きくして、課税最低限を上に上げるべきだという議論と、消費税を低くすべきという議論は連動している。所得税をなくすという議論も無理がある。
山本太郎氏は消費税は廃止だと主張している。それに対して、経済学者の高橋洋一氏が猛烈な否定の論文を書いている。この両者の全く相手を理解しようとしない、互いを全否定の消費税に対する考え方を読んでみた。
この議論は面白い。ある意味消費税が議論として取り上げられる機運を作っていて悪いことではないと読めた。結論として山本太郎氏の消費税否定論には賛成できない。税金は多様に集める方がいいと考えている。税金は誰にとっても好ましくない、嬉しくないものだ。だから広く薄く集めて貰う方がいいと考える。税金を下げる政策の方が、票にはなる。
どうでもいいのだが、高橋洋一氏資本主義がまだまだ行けると考えているところがおかしい。どう巧みに修正したところで、経済の必然な流れはこの先滝が迫っている。
国の方針として、国際競争力のある企業を応援するために、法人税を下げた。下げ続けている。消費税で増えた税金の75%は法人税の減少分で消えたと両者は認めている。自民党が企業から支持されている理由のひとつである。
法人税を下げたくらいでは、今のところ日本の企業に国際競争力がどうしても復活しない。問題は国際競争力のある新しい産業が創出できるかの方にある。
政府は大企業を優遇して、世界で競争可能にしなければ日本の経済全体が衰退すると説明している。これを正しいとするかどうかが、消費税がどの程度がバランスが良いかの議論に不可欠になる。
法人税だけで世界を比較しても矛盾が生じるのだが、政府の主張としては日本の法人税は高すぎるというのが政府の考えである。つまり、企業寄りの自民党政権への支持が大きいから、法人税はかなりの勢いで下げられたのだ。復興特別税すら法人は免除されている。
もう一つの理由は大企業が国に縛られなくなり始めている。外国で作り、外国で生産している。何も日本に縛られていたくない。タックスヘイブンの国に本社を置くという可能性もある。
それでは自民党政権に優遇が進められた日本の企業が日本のためになっているのかと言うことになる。残念ながら、日本の大企業は人ごと所ではないと、自分の身を固めるために躍起となっている。だからこの間企業の内部留保が増大を続けている。これを考えると法人税の下げは間違っている。法人税は元に戻して、それがイヤなら日本を出て貰う。それが日本がダメになっても全くかまわない。日本のことを考えないような企業はいらない。
企業が良くなり、設備投資を行う、あるいは従業員に給与として還元されていけば、消費も増大して景気がよくなるという循環は起きなかったのだ。法人税を下げた分は企業が内部留保に当てただけだ。これをおかしいと考える人は自民党には投票できないだろう。
企業というものの位置づけを議論すべきだ。中国のような国家資本主義国では企業の利益と国の利益が一体化している。そして韓国のように10社に満たない大企業に集中して国際競争力を高めたあげく、国の階層化が極端に進んだ。いずれも良くない。
日本の企業はこの間、企業利益に翻弄されるようになったと思う。土光さんや松下幸之助さんに象徴されるような企業は国というものを前提としていた。その国民全体が良くなると言うことが、企業の使命でもあった。ところがそうしたことはリーマンショック後の日本企業には国というものを尊重する企業理念は失われたように見える。
企業がホリエモンに象徴されるような、能力があるものが儲けて何が悪いんだというような代物に変わった。国とか社会とか言うものから見れば、この能力主義は迷惑なものだ。そういう能力主義こそ資本主義なのだというなら、もう資本主義は終わりが近づいている。
国に税金が足りないにもかかわらず、法人税を国際競争力を理由に下げると言うことは、一部既得権を持つ企業を優遇すると言うことになる。これはアベ政権の実体だと思う。その負担分が消費税に置き換えられてきたのは確かなのだと思う。
日本の社会は税金でまかなわなければならないことが増大している。それが日本の財政赤字の膨大な金額になっている。日本は北欧型の福祉国家を目指してきた。医療や社会福祉の充実と言うことが行われてきた。それが老人国家になるに従って限界を超えてきた。
労働人口は減少を続け、将来さらに減少するだろうことが目に見えている。働く場が確保されるという意味では心配が少ないのだが、老人一人を若者一人で面倒を見なければならないようなむりな負担社会になり始めた。
税金は以前より沢山必要になっている。税金が足りないから、病院を統合せざるえないという案が出ている。特に地方の病院の統廃合をすべきというのである。これからは感染症はさらに深刻化する。こうしたときに病院を減らすことが得策だろうか。社会の安定のためには病院は減らせない。
税金は多様に集めるほかないというのが私の考えである。つまり消費税も必要だと考える。しかし同時に法人税も下げた分は元に戻すべきだと考える。
そして消費税議論に抜け落ちている、良い面はある。1,集めやすい。2,海外からの観光客もヤクザも払う。3,自給生活者は払わないですむ。
消費が奨励される社会から、自給的社会へと文明が転換して行く契機になる。人間が自分の食べるものを自分の手で作り出すという原点は大切なものである。人間の暮らしが見えなくなって行く中で、食糧自給は大切にして行かなければならない。マスクだって自分で作る人を大切にすべきだ。これを消費税は応援してくれるものである。
自給生活者は消費税は払わないと言う観点が山本太郎氏も高橋洋一氏にも抜け落ちている。国民が消費者から抜け出ることが、次の文明では重要になる。そのためにも消費税は存続すべきだ。
消費税は図らずも次の時代への後押しをしている。搾取する資本家にならないとしても、消費者にならないですむ道が、次の時代ではないのか。