小田原生活の13日間

   

 小田原には13日間いた。田んぼの水回りに通った。オロオロ悪天候を心配するばかりだったが。心配したところで始まらないのだが、「小さな田んぼのイネ作り」を書いた年にこの悪天候とは試練である。この悪天候でも収穫が出来たという事になれば。
 
 小田原にいて、農業にかかわれるという事は嬉しいことだ。自分が入って作業していい農地がある。身体が喜んでいる。田んぼに草が生えていると、取りたくなるが、他所の田んぼの草を取る訳にもいかない。小田原の家を訪ねてみえた農家の方が、話しながらついつい草取りをされている方がいる。小田原の家はいつも草だらけだったからだ。根っからのお百姓は身体の反応で、草を見ると手が出るのだ。
 
 田んぼに向うとついつい、百姓に戻る。自然に対して、百姓として向かい合える。何か手入れの必要はないかという眼で見る。絵を描くうえで大切なことだ。それは生きるという上でも大切なことになる。視点がある。自分の位置が確認できる。何のために自分はここにいるのかが、確認できる。
 
 小田原に戻りそのまま、24時間開いているスーパーに行った。13日分の食料品を購入した。13000円弱くらい買った。それが帰る日になりほぼ無くなった。不思議なほど計算通り、食べきった。つまり1日1000円の食費だった。外食は少なかったが、何度かはあった。食事はかなり熱心に作った。無くなるように食べた。少し食べ過ぎの嫌いはある。飲み過ぎもある。
 
 余分の食料品を買わない。大切にあるものを食べなければならない。これがうまく行ったので、気分が良い。何しろ、その後買い物というのを一度もしなかった。時間をすべて、農業のことに集中したかったので、予定通りことが進んだ満足感がある。
 
7月16日朝の大豆畑、本葉が出始めている。
 
 今回の農作業は田んぼと大豆の播種である。大豆の播種は昨年大失敗をした。理由が良く分からなかった。その為に、今年こそ成功させたいと、思っていた。ほとんどを太田さんが心配してくれたのだが、ほぼ90%の発芽になった。今までにない状態である。
 
 
まったく、鳥獣害がなかった。鷲のお陰か。
 
 7月7日に播種した。これは以前から私の考えと一緒である。大豆は七夕、小麦は11月11日とわかりやすく決めてきた。7日が良かったかどうかは分からないが、今年は7日から発芽までの間、一度も25度を超えなかった。強い雨もなかった。と言って乾くほど乾燥もしなかった。昨年は播種後強い雨があり、その後酷暑が続いた。これで大豆が腐ってトロケタというのが、ほぼ分かった。
 
 7月16日現在で、本葉が出始めている。本葉が出てくれれば、一安心である。大豆の厚い双葉はおいしいらしく、鳥に食べられてしまう事がある。双葉が無くなればもう駄目だ。今年もほんの一部三国上の畑で食べられている。その後広がらないから、何とか大丈夫なのではないだろうか。
 
 今度来るのは9月17日である。それまでいろいろ作業はあるのだが、おまかせするほかない。最後の草取りぐらいは参加できるかもしれない。収穫が10月の何処かであるのだろうから、その時は参加させてもらいたい。
 
 味噌づくりは多分、参加できない。1月味噌づくりが私の身体には無理だった。石垣の気候から、小田原の気候への変化について行けなかった。来年も無理だろうと思う。家の方でやれればやるつもりで、石垣に大豆を少し持って帰るという方法もあるか。
 
7月16日の小さな田んぼ3畝。分げつが12,3というところか。
 
 イネはともかく日照不足である。この後の天候次第なのだが、1週間は遅れている。一日も早い梅雨明けを期待するほかないが、このまま冷夏になると、かなり苦しいことになるだろう。覚悟はしておかなければならない。
 
 ただ、苗が良かったので、良い苗がどれほどの力を見せてくれるかには興味がある。苗8分なら、どんな天気であろうとも8割の出来でなければおかしい。苗が特に良かったのが、糯米である。糯米は自分たちのものもあるが、吉宮さんにいただいた、キジュモチ。舟原田んぼから頂いた、マンゲツモチ。どちらも良い苗であった。
 
 今のところこの良い苗が、やはり順調な生育を見せている。ほとんど遅れがない。すでに、20分げつを超えてきたものもある。良い苗を良い田んぼに植えるという事が、天候の不順に耐える一番であることは間違えのない事のようだ。
 
 
 
 
 
 
 
 

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