夏を惜しむ音楽祭

   

夏を惜しむ音楽祭をやった。場所は小田原栢山にある自然食レストランの「ハルノキ」全部で6組が出演した。私も厚かましく参加させてもらった。というより私の「夏を惜しんでの音楽祭」企画なので出させてもらえた。三線で「いつも何度でも」を唄わせていただいた。私としては望外のできで大満足であった。練習の時よりも気持ちを入れて歌えた。私以外の人は皆さん長年音楽を続けてきた人だ。こんなに素晴らしい音楽仲間がいるという事が、言いようもなくうれしい。三線を始めたのはそんなに前のことではない。本当ならとても相手にされないレベルだ。それを知らない訳ではない。身の程知らずである。そこを眼をつむってもらって一緒に音楽祭を行わせてもらった。それは、表現というものは上手いとか、下手だとか言う事ではないと思っているからだ。音楽が好きで、歌を唄い愉快になるという事には、専門家でなくても許されると思っている。歌を唄えば誰もが楽しく表現できるはずだ。と言っても人前で歌っていいと言うには最低限のものがあるのは知らない訳ではない。

ハルノキをやられている美帆さんは、自然体の人だ。そのまま音楽のような人だ。その昔私の卵を引き売りで販売してくれていた。本当はピアニストなのではないかと思っていた。今は小宮ブルーベリー園になった場所のお隣のおじさんのパオで演奏したことがある。その音色の美しさに聞きほれた。ところがある時ピアニストは止めたのだそうだ。音楽を止めたのではなく、ピアノを辞めた。自然の人だから、理由など考えたところで始まらない。その後は歌を唄っている。これが全く自然の唄だ。しゃべるまま歌になるというところがすごい。自然というのはありのままという事で、人間ここに至る為に普通は修行するのだが、生まれついてそういう人も居るという事だろう。努力とは縁のない感じの自然のまま。それで一度ハルノキでみんなで音楽祭をしたいと思っていた。音楽をともに演奏することで、共感の世界を味わってみたいと思った。誰もが自分の音楽を表現してみるのは大切なこと。

水彩画を描いている。当たり前だが一人で描いている。私絵画である。それでも水彩人展だけで発表をしている。深めるためには発表は必要と考えているからだ。一人で孤立していたのでは見えなくなる。歌を唄うとしても同じことで、表現として人前で歌う事もある方が良い。私の唄がどういうものかはまだわからないレベルだろう。音楽というレベルとは程遠いい。押し付けがましくなければいいと思っている。それでも自分であれば一番である。今回20人が集まったのだが、それぞれにその人間がくっきりしていることに驚いた。一人の表現者であった。長年音楽をされていてそんな人になったという事もあろうと感じた。良い人は良い人の唄になっているという驚きがあった。音楽というのは直のものだ。絵の画面という間接的なものが媒介しない。これには少し衝撃があった。後に何も残らないそのすがすがしさが表現の根にある。

何も残らないからこそ、共感の記憶が残る。レコードなどというものが出来たことは音楽の堕落なのだろう。三線を始めて心より良かったと思っている。60の手習いどころか、66の手習いである。自分というものを掘り進める探検である。今回、メロディの演奏ではなく、伴奏を弾きながら唄うという初めての経験をした。当たり前のようだが、これがなかなか初心のものには一山ある。まだ乗り越えたとは言えないが、少しは進んだ。八重山の唄の三線は唄とは違う演奏になっている。これがなかなか微妙で難しい。八重山民謡が唄えるようになりたい。収穫祭までには仲良田節を唄えるようになりたい。今でも曲自体は唄えない訳ではないのだが。西表島の今は無くなった仲良田川の田んぼが唄えるようになりたいのだ。密林の中にあった自然に溶け込んだ田んぼ。本来の田んぼとはこんなものではなかったのかと思える田んぼ。そこでの歌が唄えればと、大それて考えているのだ。        

 - 楽器