ポピュリズムとは何か
ポピュリズムとは何か。最近時々聞く言葉だ。外来語は出来るだけ避けるのだが、日本の政治状況にとって、この言葉は重要な言葉になってきている。インターネットの広がりと関係があるようだ。日本語は特にないようだが、大衆迎合的政治手法とでも訳すのだろうか。ポピュラー音楽などというから一般に広まりやすい軽い思想というような意味もあるののかもしれない。政治に関して理性的に判断する知的な市民よりも、情緒や感情によって態度を決める大衆を重視し、その支持を求める手法あるいはそうした大衆の基盤に立つ運動をポピュリズムと呼ぶ。(知恵蔵の解釈)正しいかもしれないが大衆というも野の考え方に、嫌な匂いがする。何が理性的に判断する知的な市民だ。その不愉快な市民とはかかわりたくないものだ。こんな嫌味な説明しかできないような言葉なのだろうか。この解釈だと大衆というものを知性的でない、無知蒙昧な烏合の民というような決めつけではないか。ここに階級的な見方が潜んでいる。安倍政権がポピュリズムなのだろうか。このあたりに興味がある。
イギリスのEUからの離脱や、トランプ政権の成立がポピュリズムの結果とされることがある。移民が職を奪い、自分たちの暮らしを圧迫しているようで、腹が立つ。というような感情を上手く利用して、投票を有利に導くように利用する手法。韓国では、植民地時代の日本批判を煽ることで、現在起きている韓国内部の格差社会への進行から目をそらせる手法がある。こういうのはポピュリズムという事でいいのだろうか。トランプ大統領は人種差別、ロシア疑惑、様々な批判を受けている。そしてその批判に対応するというより、北朝鮮の批判を過激にすることで、対応している。現代社会に起きている様々な問題は、国際的にも経済的にも複雑に絡み合い、利害も単純に割り切れるものではない。TPPに対してトランプは離脱を決めた。経済には両面があり、同じ国内でも利益の出る人と、不利益を被る人がいる。アメリカファーストで感情的な批判を煽るには、TPPを批判することは選挙には有利であったのだろう。メキシコ国境に壁を作るなどという政策が票になるのと同じだ。ポピュリズムが民主主義政治が危うくしていることは確かなようだ。しかし、ポピュリズムというようなレッテルをつけることは正確に内容を把握する前に切り捨てているようだ。
ポピュリズムは直接民主主義や多数決制を擁護する点では、民主主義の発展を促すと見える点もある。国民が冷静で正しい判断を必ず下すのであれば、直接民主主義ほど優れた手法はない。スイスにおける直接投票の伝統の中で移民排除が決まる。危険な点はカリスマ的なリーダーが現れると、その影響力の為に理性的な判断を失う点である。トランプ、橋下徹、小池都知事、アベ政権、すべて敵を作るのが得意だ。アベ政権がわざわざ、中国との対立を強めている理由は「加計、森友、情報隠し、」が発表されると出てくる中国の領海侵犯。民主主義は国民が理性的な判断ができないのであれば、良いものにはならない。報道が正しい批判精神を持てるかであろう。悪いものが悪いものを民主的に選択したとしても、良いものにはならない。ではどうすればいいのか。これが今起きているポピュリズムと呼ばれるものの課題なのだろう。
資本主義がグローバル経済化して、地球全体に格差を広げている。極端に富が偏在し始めた。イスラム諸国では、石油利権による極端な格差が存在し、国内でもイスラム国家間でも不安定要因を持つことが、テロリズムを広げる結果になっている。難民の大量発生が生じ、EUの国家統合の理想主義を崩し始め、イギリスの離脱に繋がる。フランスの選挙で、ルペンが選ばれたらとんでもないことになるところだった。日本人は御上からの圧力に迎合しやすい民族だと思う。日本人全体が弱気になり、焦りを感じている所が不安だ。中国を悪者にすることで、悪者だから日本を凌駕したのだと思いたいという事かもしれない。人が良くなることを喜べないことは恥ずかしいことだ。今の日本の経済の問題は、経済が国を超えて動き出している結果だ。日本が平和国家として、尊重される立場を目指すことを明確にすべきだ。その軸がぶれなければ、大衆迎合主義に惑わされることはないのだろう。