舟原溜池の泥さらい

   

舟原の溜池を上部から見たところ。遠くに見えるのが曽我丘陵。

小田原市の久野舟原に江戸時代初期に作られた、溜池がある。欠ノ上の集落の田んぼの為の溜池であった。今は欠ノ上の田んぼが減って、溜池が必要が無くなった。その為に欠ノ上の水利組合では、その溜池の管理だけが負担になり、溜池自体の権利を放棄することになった。まだ、土地の登記は久野村のままになっているのだそうだ。今回小田原市の登記に変えることになり、今進められているところだ。問題は小田原市の登記に変えてその後の管理である。農業遺構として貴重なものだと考えている。また農業公園という意味でも価値ある場所である。まずは、泥さらいをしてせめて水面が広がるようにすることになった。美しい久野里地里山協議会の取り組みとして行っている。久野の里山を保全を考えたときに、この舟原の溜池はとても重要になる。里地里山とは何かを考えるときに、里山、河川、溜池、用水路、そして田んぼ。この組み合わせを、生きたものとして残さなければ、意味をなさない。

 下から見上げると、明神岳が見える。

人間が暮らす基本的な形を織りなすのが里地里山の本来の姿である。地域の農業が成立しがたくなってきた。農業者の高齢化、後継者が少ない。耕作放棄地が増える。地域が消滅する。こうした日本全体の現状の中、里地里山を都市住民の憩いの場として考える行政の方針がある。里地里山に税金が投入されているのだから、それを否定するわけではないが、基本は里山に暮らし続ける人が、暮らせる経済の循環がその背景になければならない。行政が行うべきことは、土地の所属の明確化や、管理体制の構築であるはずだ。溜池でも水路でも、その維持管理が農業者が担う事が出来なくなっている。すでに田んぼがなければ、水路も、溜池もいらないことになる。管理者が居なくなれば、荒れてゆく。溜池の保全や維持に、1円たりとも補助金が出ている訳ではない。小田原市は今回、土地の所有を明確にしようとしてくれている。あとは管理体制を考えてもらいたい。地域の人で、その価値があると感じる人が、何とかしようと集まって作業している。そういう気持ちが、瑞穂の国の美しい国の姿なのではなかろか。

周囲には田んぼがある。

今回、今回、里山協議会の副会長の田中康介さんの呼びかけで、溜池の泥さらいが動き出した。森谷さんが長年コツことと草刈りを続けてくれてきたおかげで、溜池は形を取り戻している。溜池のお隣の下田さんは、独力で溜池までの道を作った。今回はついに水路を直した。昔田んぼだった場所を田んぼに戻すことが自分の夢だと言われていた。皆さん何も欲得で動いている訳ではない。故郷の美しい姿を残そうというだけのことだ。この思いが何よりも尊い。努力したところで消えてしまうものかもしれない。しかし、次の世代の中にも、もしかしたら江戸時代初期にこの地域に溜池が作られたことに、興味を持つ人が現れるかもしれない。この地域は江戸時代初期に盛んに田んぼが作られたようだ。いつか里山の意味を貴重なものと受け取る世の中が来るかもしれない。神奈川県の大半の溜池は埋められてしまったという。久野に残る最後の溜池を残す意義は小さいことではない。

この奥に水源がある。

この溜池のことでは、以前にも書いたが、小田原市の文化財保護課は関心がないという事だ。お城には関心があっても、農業遺構には目が向けられない。それは何を大切にしてゆくかの観点である。歴史を権力者中心にとらえられている古臭い刷り込みがある。未来につながる大切な歴史は庶民の暮らしである。人の暮らしがどのようなものであるべきかは、この土地に生きてきた人たちの生活を知ることからだろう。北条氏の歴史よりも、この地域に庶民は日々どのように暮らしていたのかの方が、未来につながる歴史だ。溜池は小田原市の管理地であり、所有者である認識があるのであれば、荒れ放題のままで良い訳がない。行政に管理してゆく予算がないのであれば、それも仕方がないことだ。しかし、行政として取り組めることはあるはずだ。ここを考えてもらいたいものだ。

 

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