縄文時代と江戸時代
縄文時代と江戸時代には日本人の暮らしの2つの典型がある、と私は考えることにしている。縄文時代は採取狩猟の暮らし。人間が自然の一部であった時代。人口密度が1㎢に1人程度と言われている。日本の豊かで複雑な自然と戦いながら、独特の文化を形成した。江戸時代は瑞穂の国の文化である。部落を基本単位として、大都市江戸を成立させた時代。この2つの時代を材料にして、自分の暮らしを考えてきた。縄文時代は世界的に見ても優れた土器文化を形成した。その土器には縄文があるので名付けられた時代名だ。新石器時代というような名称に近い。一方、江戸時代は江戸にある幕府が日本を支配していたために付けられたちいき名称である。徳川時代と言わないところにこの命名の仕方の特徴と奇妙さがある。江戸時代の発掘物の研究から来た縄文時代の命名と場所による時代名。1603年から1868年の日本と江戸時代を言うのでは分かりにくいというだけのことだ。
人間の暮らしを考えるうえでは、江戸幕府の鎖国にによる国づくりが実に用意周到で、一般の人の暮らしは部落という単位の中に固定化された時代。部落の基本的大きさは稲作をまとまって行う合理的範囲。水利権でつながる人の暮らし。土地所有以上に暮らしを司る水。土地は大庄屋が所有し、小作農として多くの人々が暮らす。庄屋は水を管理運営する。水は田んぼの水であり、水車の水であり、生活水である。そして集落を取り囲む里山。里山はエネルギー源であり、里山は里地での暮らしと不可分のものとして成立していた。土・水・木を育むことに自らの暮らしの向上がかかっている。暮らしの永続性は部落時代の循環が要になる。小作農の仕組み。土地所有者に隷属するのではない、地域全体として経済が成り立つ、小作形態。日本独特の封建制の成立。地域と離れがたい、家と離れがたい、封建思想の成立。そこには天皇が存在していない。もちろん縄文時代にも天皇は存在しない。
縄文時代は時代の意味や暮らしまではよく見えていないまま、出土される土器にある縄文から付けられた名称。縄文時代は人間も自然の一部であったような時代である。しかし、その土器や土偶の優秀性は人類史上でも特出できるものである。民族の未来を考えるにあたって環境とのかかわりは最大の問題となるであろう。世界でもっとも長期にわたり人間と自然のかかわりの詳細なデータの得られている縄文時代の情報は重要な意味が有る。人類がアフリカで生まれ、新天地を求め移動を続け、日本列島に至る。3つの地点から日本列島に来たとされている。それは、現代にいたるまで、日本列島に来る人たちが存在する。その影響に従い徐々に日本人が構成されてゆく。ただいえることは日本列島という自然環境は人間が暮らすためには、実に優れた地域であった。自然災害は頻繁に繰り返される場所ではあるが、自然の生産力の豊かさゆえに、縄文時代の日本の1㎢1人は人口密度的に言えば過密な地域という事である。
どちらの時代も豊かな日本の自然環境の中で、自然と融合した日本人が独特の暮らしを形成している。どちらもぎりぎりの暮らしを続けている、苦しい時代ではあるが、平和に、文化的な人間として生きている時代。災害に満ちた日本の自然。創意工夫の中で、次第に里山を形成してゆく、手入れの暮らしの成立。災害や気候変動による、人口の増減は大きかったようだが、世界史的に見れば、幸いな豊かな時代と考えることもできる。縄文時代で言えば産みだした土器や土偶に見られる造形的能力の高さに表れ要る。専業的な人でなければ作れないレベルの作品である。江戸時代の循環型社会はまれにみるち密さである。どちらの時代も、行き詰まりを見せる現代社会の暮らしの次の展開に、大いに参考になる。人間が何に向かう方向を探るときに、参考になる暮らし方である。