行政システムの無責任体制

   

豊洲市場の盛り土問題で行政のシステムに、管理機能や責任体制がないという事が表面化してきた。自分の家を建てるような気持ちとは程遠い。小田原市の行政の問題点を繰り返しここにも書いた。行政が関係することで本気になるのは止めようという気になっている。先日書いたのは、舟原の溜池の問題である。これも何度も書いたのが、生ごみ処理のことだ。里地里山のことでも、有機の里づくりでも行政がかかわる部分はどうも納得がいかないところがある。情熱がない。当事者意識がない。豊洲市場で分かってきたのは、豊洲市場にかかわる行政の関係者でも、担当の責任者までもが、最近まで建物の下に地下空洞があることは知らなかった人が結構いる。広報にかかわる人も知らなかった。関係者が実際の建物を見に行かない。つまり出来上がる建物に興味がない。自分の仕事の範囲を決めていて、それ以上ははみ出ないという事だろう。

以前小田原市の防災の関係者に、小田原で時間72ミリの新記録の大雨が降り、舟原でも何か所も崖崩れが起きたことがあった。防災課に状況の報告行ったのだが、誰一人現場を見回った人がいなかった。私は一市民であるが、新記録の大雨の後危うそうな個所はどうなったか、ついつい見て歩きたくなった。直接は自分の家とは関係のない場所でも、72ミリの雨でどうなるかに興味が湧いたからだ。防災課に勤務していながら、何故そういう現場で起こることに興味が持てないかに不思議だった。何故見ないでいられるのか、思わず驚いて聞いてみた。そんなことは仕事の範囲でないし、興味もない、その上忙しくてそんな時間がある訳もない。という主張だった。防災課はそんな仕事ではない。と強く主張していた。一体どういう仕事と認識しているのだろうか。今でも不思議である。危険個所の実際を自分の目で確認しないで、どうして防災が出来るのだろうと思ったが、何も言わないで帰ることにした。

豊洲市場で起きたことは、東京都の職員が豊洲市場に興味がなかったという事だろうい。豊洲に作る卸売市場の仕事は、めったにないほどの、100年に一度の面白い仕事のはずだ。範疇を決め、割り切ってかかわる人が優秀な東京都の職員。自分の好奇心や仕事の目的使命など持ってはならないのだ。市場の仕事は本気になれば実に興味深い。私も何度か見学したし、外国人も好奇心で大勢訪れる。日本の生鮮食品の流通を担ってきた場所である。世界的にも注目を浴びる、築地市場の移転である。この歴史を思えば、ここを革新し、現代の流通の核を作る訳だから、これほど興味深い仕事はないはずだ。築地の伝統的な業者の抵抗があり、すったもんだの中で、土壌汚染問題が登場した。当時の石原都知事はごみ処理問題でもめちゃめちゃの、最低の独裁者だった。理解もしていないのに言いたい放題だった。私は東京都とごみ裁判をしていたのでそれを痛感した。お頭がだめなので、子分が働かないのか。

卸売市場の意味など関心もない人たちが、行政の上部にいて、仕事として割り切って要領よくやったのだろう。だから現場から、流通と建物に関しても不満が続出する。権力闘争と、日本帝国だけに興味のある人が都知事なのだ。どうもそういう人が人気を博するのが日本人の悪いところだ。地道な行政的業務に無関心。元都知事葉が東京都は伏魔殿だなどとほざいているが、自分がすべての責任者であるという事を忘れている。多くの自治体で似たような傾向だろう。それを監視するはずの市町村議員が名誉と、権力と、お金に明け暮れているのだらから、ろくな結果にはならない。一応は、都議会議員というのもいたのだろう。共産党をはじめ全員が騙されていたわけだ。自らの責任は感じないし、恥ずかしいと思わないところが、議員というものの特徴である。政務調査費はこういうことに使うべきお金だ。人間の質が問われる。こうして、日本の社会全体が、使命を失い始めている。

 

 

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