参議院選挙後のこと
今回の結果を見て力尽きた感がある。。いまさらどうにもならないようだ。時間がある訳ではない。テレビ報道が批判精神を失ったことが、今回の選挙結果になっている。テレビをおかしくさせたのは、視聴率である。金権主義と企業社会である。テレビがスポンサーで成り立っているのだから、こうなることは目に見えていたのだ。テレビは中立を建前にしている。中立を弁解に批判精神を失った。政権党や企業におもねった報道になった。その結果漠然と自民党に任せて置く以外、仕方がないという空気が醸成された。積極的に自民党を支持するというより、消去法的に野党各党のダメさ加減がまあ、正しく報道され定着された。報道は野党を正すように日本の未来に対する、見識を持つ必要がある。その未来像に基づき、政権の問題点を批判的に掘り下げ報道しなければならない。
今回、もう一つはっきりしたことは、福島県と沖縄県である。両県とも県民の生活を圧する大きな課題を抱えている。そしてアベ政権は選挙に勝つために、法務大臣と沖縄北方大臣を選挙目当て任命した。大臣の意味の軽さを痛感する。結果としてその2人が落選した。島尻沖縄北方大臣は前回の選挙では辺野古移設反対を主張し当選した人だ。それが、大臣になって辺野古移設を後押ししたのだから、当選するわけがない。今回は公明党が自民党候補支持で動いた。沖縄の国政選挙では久しぶりである。それでも大差で野党候補が当選したのだから、いかに沖縄の怒りが大きいかである。つまり、福島沖縄のように現実の課題が突き付けられているところでは、報道の誘導の影響を受けないのだ。深刻な問題に直面している人たちにしてみれば、いかにアベ政権がとんでもない政権であるか暮らしから認識できる。多くの地域では、公正中立に逃げ込み、批判精神のない報道の為に、すべてがあいまいになり、選挙の争点すら見えない選挙だった。
今回の選挙の争点は憲法改定である。それを浮き上がらせることが報道の役割であったはずだ。ところが、テレビは憲法問題を横並びの問題とした。いや、上手く争点にから降ろした。健全な民主主義が成立するためには、権力と戦い、批判を続ける報道に成長できるかである。まだ新聞はましである。テレビは相当にひどいことになっている。ひどいという自覚すらない。公平性を前面に出して、権力批判をやらなくなった。民主主義における報道の役割の意味を自覚できないでいる。これはアベ政権になってから露骨になった。アベ政権がテレビ報道の在り方に重点を置いている。経済界に圧力をかけて、コマーシャルをどこのテレビ番組、何処のテレビ局に入れるかで圧力をかけろと露骨に発言した議員が自民党にはいた。これは頭が切れない議員であって、実情としては、アベ政権を動かしている人たちは、ち密にテレビ局への統制を強めている。多分アベ方式の放送基準とか放送コードがあるのだろう。何処までも中立という建前を見せ、その上で国民を操作できるかを考えている。静かな金権主義独裁への道。
これからの課題は憲法である。憲法審査会の開催を安倍政権は主張した。当然のことだろう。しかし、憲法を審査する前に、憲法の位置づけは明確にしなければならない。憲法の解釈を時の政権の影響下で行うのであれば、憲法が正しく機能しないことになる。憲法は政権の自由勝手を制限するものであるという事が立憲主義である。憲法審査会の開催の前に、この点で合意することが必要だ。内閣法制局を独立した組織にする。あるいは憲法裁判所を制定する。このような前提がなければ、どのような憲法を作ったところで無意味になる。もう一つは自民党憲法法案である。これをまず取り下げてもらいたい。この前提で議論をするのでは議論が成立しない。このようなはっきりした主張をテレビ局が形成する必要があるのだ。