八重山の田んぼを描く
小浜島と石垣で田んぼを描いた。ここは多良間田田んぼ跡地である。古い時代、1752年にはすでに伝承として記載されている田んぼだから、その前の時代たぶん1400年代には田んぼが作られ始めていたのではないか。田んぼのできなかった多良間島の人たちが、石垣まで船で出作りしていた場所だ。石垣の一番北にあたる場所で、前回来た時にはそばまで行ったが、どうしてもわからなかったところである。今回やっとたどり着けた。地元の郷友会の人たちが今回整備をされたと新聞に出ていた。古い時代の田んぼというものがどういうものか見たかったのだ。緩やかな傾斜地に13段の田んぼがある。北側に山を背負っていて、高い山ではないが、山から少しの沢水がわずかに残る水路跡をたどったようだ。土は石垣のどこにもある赤土。今は周辺はすべて牧草地になっている。牧草の様子から見てもそう肥沃な土地ではない。田んぼは舟で通ってもできるという事だ。
多良間田跡の看板が立てられた。
かすかな田んぼの痕跡
背後の山はこの程度のもので、もしかしたら薪炭材として樹木が切り出されてしまい。草山になったのかもしれない。今は水はないようだった。
草の再生の仕方が地力のなさを感じさせる。
この平ら地はいかにも田んぼ跡用だった。面積で1反はない。
人間の痕跡というものに興味がある。自然を田んぼとして利用する。そして放棄するとまた自然に戻ってゆく。この関係に興味がある。人間の手入れ。元に戻る範囲の人間の自然とのかかわり方。そうしたものを絵にしようとしている。