沖縄慰霊(鎮魂)の日
沖縄鎮魂の日を石垣島で過ごした。桃林寺の「杜の祈り」に参加させてもらった。 桃林寺は臨済宗の寺院で、沖縄の中でも屈指の名刹ではないかと思う。この本堂の前で、鎮魂の日の夜を過ごしせたことは、大切な体験をしたと思う。鎮魂の為にたくさんの歌が歌われた。石垣には歌の文化が残っていると思った。今回、ここでも「トゥバラーマ」を聞くことが出来た。なんと、4人の方の唄う「トゥバラーマ」を聞くことが出来た。人によって違ってはいたが、それぞれに忘れがたい魅力があった。杜の祈りでは若い結の会の方が唄った。西表では平良さんが。そして石垣では、前田親子の"トゥバラーマ"を聞くことが出来た。前花さんは親子で、"トゥバラーマ"大会で優勝した唯一の方だそうだ。いずれの方の唄も素晴らしいものであった。柳田国男先生は、この唄を臨終のときは聞きたいといわれていたそうだ。それが少しも大げさなことではないことを感じた。
杜の祈りの歌会が終わりに近づくころ、空を火の玉が流れていった。始まるころは明るかったのだが、唄が続く間に日もとっぷりとくれた。見上げると満天の星である。そこを大きな火の玉が流れていった。そこに居合わせたみんながほーうと吐息をした。花火だと思ったが、その一つだけだった。やはり、鎮魂の唄にこたえて魂が現れたと考えてもいいかのかと思った。唄を聞くという事で魂が救われる。救われた魂が杜の集いに来ても不思議もない。唄を唄う事に生まれる死者と生きている者の一体感が石垣には残っていると感じた。八重山は唄の島である。鎮魂される魂は、戦争で死んだ方だけでない。祈る者も、祈られる魂も、唄によって救済される何かがある。八重山民謡は魂に直結する命をまだ保たれている。祖内の唄には仲良田節がある。お米の収穫後の1か月だけ唄うことが許される唄がある。まさに収穫の今しか歌えない唄である。地元の西表で祖内の平良さんの唄を聞くことが出来た。空前絶後の美しい唄である。収穫の喜びがこんなに悲しくも美しいという事に、深い感銘を受けた。いつの間にか涙が溢れ止まらなかった。
沖縄では鎮魂の日は休日である。祖内でも鎮魂の日の集まりがあった。おじいさんが、外で絵を描いて居た私に、鎮魂の日に何をしているのだと諫められた。静かに祈る日に絵を描いて居るという事が、許せないということのようだった。申し訳ない気持ちで絵を描くことはこの日は止めにした。このおじいさんは少年兵として招集され、弾薬を運ばされたそうだ。西表では、炭鉱や港が爆撃された。それはイギリス軍だと言われていた。こんな日本の戦争全体で考えれば、意味が有るのかと思う島まで爆撃をされた。戦争の恨みというか、怒りというものはそういものなのだろう。自衛基地を八重山に3つ作るのが中期防衛計画だそうだ。中国は軍事国家を目指しているのかもしれない。それに対抗する日本の戦略が、日本の軍事国家化でいいのだろうか。日本は平和的手段によって世界紛争を解決する国ではなかったのか。今こそ沖縄戦の重さを日本人全体が認識しなければならない。
鎮魂の日に沖縄で平和について感じるものがあった。平和外交の努力を充分に行わないで、軍事国家を目指すのは愚かでないのか。戦争になれば、全てが終わりになる。軍事的な競争で相手に勝とうという発想は、単なる弱肉強食の野蛮な世界観である。勝者も敗者も悲惨なことになることだだ。どれほど、屈辱的な結果であれ、平和的外交であれば戦争の悲惨は避けることができる。譲れり合う事が出来るのは、まずこちらが柔らかな心を持つことだ。軍事化をして頑なにな心になれば、互いが硬直するだけだ。まず日本が平和国家として、軍事化しない。平和国家とは、自給自足できる国である。人に勝つことではなく。人とともに生きることのできる国だ。これが大前提だ。相手が暴力的になればなるほど、日本は平和的対応を取る。これが唯一の解決策である。沖縄の鎮魂の日に改めて心すべきことを思った。