近代絵画の終焉
近代絵画はセザンヌに始まると教わった。大学の時の美術史の時間に、絵画はセザンヌによって自己を表現する芸術に成ったと教わった。自分の内なる世界観を画面において探求し、表現するという事。日本には突然その近代に生まれ変わろうとする絵画が、ヨーロッパの最先端芸術として伝わる。中世から、ルネッサンスを経て、近代絵画に至るヨーロッパの芸術の変遷を、ひっくるめて同時期に学ぶという混乱になった。ヨーロッパの全てを、文明開化として進んだ芸術を受け入れようとする明治時代。日本の洗練された芸術を軽視してしまった。ヨーロッパ芸術こそ学ぶべきものは良いが、日本の伝統文化を否定せざる得なかった。進んだ科学技術に驚愕して、精神世界まですべてを受け入れようとした。しかし、日本の絵画世界は奥深く、優れたものとして存在していた。それでも西欧文化を受け入れる上で、残念なことに日本の文化を否定せざる得なかった。この明治期の野心と浅はかさがその後の日本の文化の混乱の出発になる。
西洋芸術は病に侵されたなかで、新しい道を求めてていた。末期の断末魔のうめき声のような芸術を、日本人は先を行く学ばねばならない芸術の大前提としてしまった。黒田清輝の展覧会をやっていたが、ラファエルコランに学んだ限界をよく表している。家元になるには、黒田清輝の絵は弱い。この限界がその後の日本の芸術の根底に常に存在している。芸術が何のためのものかを見失う。芸術は苦しみの表現のようなものであるかのような、前提を持ってしまったのかもしれない。セザンヌは近代絵画の父と言われるが、生前は全く無視された画家である。ゴッホの絵画は確かに傑出している。しかし、健全で前向きな芸術としての意味とは違う。行き詰まる人の絵画である。あらゆる絵画表現が行われ、その末期的な現象として、ヨーロッパの自己表現絵画というものは誕生する。後期印象派である。そのある意味文化としては病のような芸術が、一気に学ぶべき最先端の文化として、日本に押し寄せる。今の若い人まで、この影響の中にいることに驚く。
江戸時代に爛熟したともいえる、日本文化を恥ずべき劣る文化として、考えざる得なかった不幸。これが日本の残念な明治維新以降の文化の変遷である。私も当然その影響をまともに受けた。この不幸から始まってしまった日本絵画の自己矛盾は深い。それが日本の近代絵画の展開できなかった哀れである。また、現状として絵画が全く停滞してしまった原因となっている。そして、世界に主張し始めた表現として再生しつつあるものが、江戸時代の浮世絵や、それ以前の絵巻物などである。世界の目が面白いと思うものは、実は各民族の独特の文化なのだ。より世界的に影響を与えるものは、より土着的なものだ。民族という塊が、つちかい練り上げた文化でなければ、世界を変えるような文化の力はない。あえて言えば、より個人的なものしか、世界的なものになりえない。その個人が人間として、何処まで根源に迫り得るかが、芸術の力なのだろう。
私の問題なのだが、自分の中で近代絵画が終わっているという事を認識できないという事である。私絵画というのものは、むしろ日本的な芸術観に基づかなければならない。自分が生きているという事とに密着してゆく絵画である。絵画が何ものかでなければならないという、事大主義を捨てないとならない。何者かであろうとすることから、行き詰まるのである。先日、偶然そうなったのだが、田植え前、沼代の田んぼを4枚描いた。何も考えないで、自分が見えているものに純化しようとして、自分はただの眼になるぞ、手になるぞと描いてみた。そして田んぼの準備田植えと忙しくしていて絵を描けなかった。やっと田んぼが終わり、又田んぼを描きに行った。そして、た眼になるぞ、手になるぞと同じ場所を描いた。そうしたら絵が田植え前後で何か違う。絵が良くなったわけではないが、違った。この違いがとても面白い、自分のことながら興味が湧いてきた。