見ることには二つある。

   

生きているという事は見る喜びだと昔の友人が言っていた。違うとそれを聞いた時は思った。生きるは見ているだけでなく、やることだと思ったわけだ。今はその言葉が強くよみがえってきた。柳田国男氏が死ぬときはトウラバーマを聞きながら死にたいといったそうだが、私は自分の描いた絵を見ながら死にたいものだと思うようになった。その絵はまだ描けていないのだが。石垣が好きなのは石垣の景色が好きなのだ。石垣の景色を見ていたいからだ。本当はそれだけのことだ。それで十分と思うようになった。もちろん今住んでいる舟原もいい。欠ノ上田んぼもいい。そういう良い場所を眺めていたいという気持ちがある。その眺めていたいものを絵に描き止めたい。何故その場所が見ていたいのかよく分からないが、見ていれば飽きないのだから不思議だ。人の絵より自分の絵を見たいから、人の絵と較べてみたいとは思う。ボナールはとても好きだが、やはり中川一政の道の方が方角だと思う。それでも今日はボナールで描こうという日がある。

見る喜びとは何なのだろう。直接そのことを考えても一向にわからない。何を見ていたいのかと言えば、自然と人間のかかわりの姿である。ただの自然が見ていたいとも思わない。空は天才だとしても、空を眺めていたいわけではない。お城がブームのようだが、見たい気持ちはわかない。どれほど素晴らしい工芸品でも同じだ。備前焼が好きだが、面白い範囲で、見て居れば全てだとは思えない。ところが、ある場所を見ているとみているだけでもういいという気になる。人間が手入れをした自然というものが面白い。人間の痕跡が自然と調和しているところが面白い。田んぼや畑を見ていると飽きることがない。人間の営みというものがかけがえがない。今田圃では緑肥の発芽が始まっている。この変化を見ていると何か格別なものを感じる。土から命が湧き出てくるようなエネルギーがある。こういうものを描けないものか。

「見るには目を見開いてみるという事と、目を細めてみるという事がある。」美術館にあった中川一政氏の文章である。目を見開いて見るは科学的論理である。目を細めてみるとは哲学や宗教ではないか。芸術はその両者の調和である。「字を書くことは写生だ」とも中川氏は書いている。確かに中川氏の書は絵である。そして写生だ。つまり、目で見た世界を写しているのが写生なのだ。何を見ているのだろう。その筆触の中にすべてがある。自由というものがわかる。自分からも自由になるという世界が眼前に示される。私は自由になろうと、自分から脱しようと何も考えないようにしながら絵を描いた。ところがそれで出てきたものの大半は、自分が学習してきた諸々の方法である。他人の作り上げた方法が色濃く出てきた。つまり、意図を消すという事から、自分が現れる以上に他人が現れてきたのだ。むしろ、絵画することを抑えようと自制の意識をしているときの方が、自分の世界に近づけたような絵になっていた。

ここが大事なところだろう。中川一政氏は学んで身に着いてしまったものを抜け出ることができた。ただの自分だけに成れた。自分が見るという事にいたったことが、90代の晩年の絵にある。いかに難しいことであることか。並び称された、梅原龍三郎氏が西洋絵画から学んだことから抜け出なかったことと大きく違う。中川氏は日本人の精神世界というものの、「ものを観る」という事にいたっている。ランチュウのこぶが出るか出ないかが見えたのだ。生きるという意味が見えたのだ。自分というものが曖昧なものであれば、何処まで行っても自分の絵にはならない。自分というものを超えなければ絵にはならない。見ることを学ぶためには田んぼや畑だ。田んぼや畑は私の道場だ。田んぼの土を見ることができなければ田んぼは出来ない。そしてお米という結果は生まれない。これは科学だ。見開いた眼だ。目を細めてみれば、その総合に宇宙がある。田んぼは実にありがたい修行道場ではないか。

 - 水彩画