国会の議論形式
国会では議論がまともに行われない。それは既に多数決で与党が圧倒的という背景があるからだ。どうせ議論がした所で、結局のところ審議が進めば、与党が強行採決をして、後は自然成立を待つという事が見えている。憲法違反の疑いの有る法案が、国会では審議されている。にもかかわらず、良い議論が少しもできないでいる。結論ありきの筋書きがある以上、野党としては何か答弁にひどいミスが出てこないか、それを引き出そうという議論方式に終始している。また政府の答弁の方は、ただただ、自分の自説を展開して、時間稼ぎをすることになる。時間さえ経過すれば後は強行採決すればいいと考えているのだろう。結論ありき、の議論は誠にまだロッコシい。この法律が憲法違反であると私は考えるし、憲法学者の多数は憲法違反と言われている。主張を正しいと考えるなら、姑息な解釈拡大議論を拒否するなら、憲法改定を目指すべきだろう。
共産党の志位委員長の質問はなかなかのものだった。戦争が始まるときの姿を、具体的にベトナム戦争、イラク戦争と明示して、政府に対して戦争における、事実のでっちあげに関して見解を質した。所が政府は国連がどうだこうだ抽象的な話しを延々と答えた。まともに戦争開始のでっちあげには意見を述べなかった。まともに議論すれば、戦争の大義などある訳が無いのだ。イラクに大量破壊兵器はなかったし、トンキン湾事件がでっち上げであった事は、歴史的にはっきりしている。日本が盧溝橋事件と呼ぶものも、結局のところ戦争を開始するきっかけを作る、からくりの中にある。戦争をやりたいと考えれば、無理やり都合の良い何かをでっちあげるものだ。ウクライナでいま起きている戦争も同じだ。真珠湾攻撃にも、様々ねつ造があるようだ。
そうした戦争開始をどこで判断するかが、今回の法律の焦点になる。機雷除去を行うと言う事を相手国の領海内で行おうとすれば、機雷を設置したという戦闘状態の中でやるとすれば、相手国に対して宣戦を布告した事になる。ホルムズ海峡の封鎖されたために、日本に石油がこないという理由は経済の事だ。経済の問題で、戦争などやられたらたまらない。石油が来ないでも我慢した方がはるかにましだ。すると、何か理由付けが必要という事になる。大量破壊兵器を所持しているというデマを流すかもしれない。日本人がテロに合うのかもしれない。戦争の開始等、いかに政府がでっち上げるのかにかかっている。経済の為なら何でもやりかねないのだ。その為に、政府は戦争開始の判断を曖昧にしておきたい。いついかなる場合にも戦争が出来るフリーハンドを確保しておきたいと考えているのだ。
こんな状態で、戦争法案が通過するとすれば、明らかに憲法を逸脱した法律という事になる。ここが議論が出来ない一番の原因である。議論を堂々として行けば、この法律がいかに憲法の精神から逸脱したものかは、明白になる。言いかえれば、現実の問題と、純粋学問の論理性との違いであろう。そこで、この鷺は黒ですかと質問すると、このハトは、そもそもアメリカから来た外来のもので、学術上どうだこうだ、関係の無いことを延々と答える。ハトの事ではなく、鷺の事だと再質問すると、鷺という鳥は足が長くて、渡りはしない。等など結局のところ鷺が白いか黒いかには答えない。それで十分時間をかけて、丁寧に答えたというのが政府の主張である。国会の議論を通して、政府の考えを明確にするどころか、益々、この法律が見えなくなるばかりである。