酒匂三線クラブ
三線が届いた。素晴らしいものである。照屋勝武氏の魂のこもった作品だ。見事な形をしている。高かったのだが、それ以上の物だと思う。嬉しくて、一時間ごとに取りだしている。三線を弾くどころか、調弦がまずできない。そこでゆーチューブで何度も聞きながら、合わせてみた。一応近い音になったので、今度は水牛の角でで来た爪の持ち方を勉強した。中指に入れていて、人差し指にさすものだと初めて知った。ユーチューブには実に親切な先生が沢山いて、三線の構え方を教えてくれる人もいる。熱中していると、悪い姿勢で弾いている。姿勢は大切なことだ。先ず爪で3本の弦を繰り返し均してみた。あがり、さがり、繰り返すだけで、実によい音が響く。沖縄の音だ。音階を出すどころか、解放弦で音を出しているだけで一日目は満足した。まあ音階を出してみたいと思って気が付いたのだが、手前の弦は低いド。中央の弦がファの音だ。そして一番下の高い音の弦が一オクターブ高いド。これが本調子。なるほど。
この超初心者が厚かましくも、酒匂三線クラブに出掛けた。若い男の人がいた。早速先ず調弦を教えてもらった。音合わせを周波数で行う簡単な道具がある。これは買った方がいいとのこと。それからドレミファソラシドを教えてもらった。段々やっている内に、ドレミファに近い音になってきた。そのころに段々一人増え、二人増え、皆さん調子が狂ったようだ。得体の知れないおじさんが勝手にいる。迷惑にならないように静かにドレミファを弾いていたのだが、徐々に馴染んだ。皆さん若い人だ。30歳前後なのだろうか。友人の今屋さんだって私から見れば随分若いのだが、それより1回りは若い。迷惑にならないようにする。と言ってもくるった音階を常に鳴らしているのだから、迷惑でないはずはない。女性が2人、男性が3人居たのだろうか。あまり見ないようにしていたので人数も、今となっては定かでない。そのうち今屋さんが来たので、少しおさまりが良くなった。
改めて、三線クラブのフェースブックを見ると、何と私が弾いている所が出ている。その場で取って出していたのだ。総勢女性3人の男性4人であった。みんなに自慢すると言う事でリンクした。最初に調弦を教えてくれた人はブルーのヤッケの人だ。久野に興味があって、東京から最近越してきたと言われていた。久野はどこを目指しているのか。と尋ねられたのだが、自給農業の場所だと勝手に答えていたのだが、意味不明の様だった。自転車で林道を行くのが趣味らしい、和留沢は世界にも通用する所だと言われたので、嬉しくなった。どこにでも自転車で行く人で、久野から酒匂まで、15分だと言うのには、みんな嘘だろうとびっくりした。色々おしゃべりをしていたのだが、私は三線をみんなに自慢した。幾らしたのかと言うので○○円したと言ったら、皆さんびっくりされて、何しろこんな箱に入っていると、興味しんしんで箱の中を調査していた。
とても上手な女性の方が私の三線で弾いてくれた。すぐに今屋さんが併せてくれたので、良く沖縄で流れるテンポの速い曲で盛り上がった。何とかドーイと言うのではなかったか。とても音が良いとほめてくれた。家の文化財がほめられたのでうれしくなった。まあ、超初心者がなんでこんな楽器を買うのかという白い目で見られていた感じではある。からかわれて仕方がない状況である。三線の木が好きなのだとか何とか、言い訳がましくしどろもどろで言っていたのだが、皆さんには全く意味が通じないようだった。年寄りの骨董趣味など縁のない方々のようだ。勿論そこがクラブの空気がいい所である。闖入者の得体の知れない人間を、心を開いて受け入れてくれる人達がいる。私は9時30分で帰らせてもらった。眠くなったのだ。こんなに遅くまで三線の練習が出来たのはうれしかったのだが、帰り道、老人のボケ防止には、三線をはじめるのはいいよ。と言われた宮古島木工のおじィーの言葉がよみがえった。