全農解体と農業改革

   

JA全中、全農改革を政府は主張している。全国にある農協に対する、監督権、監査権を無くすという事らしい。その意図は良く分からないが、官房長官の言う所によると、各農協が自由に商売をやれるようにすると言う事らしい。どうつながりがあるのかが分からない。今JA全中をつぶすぞ、解体するぞと脅していると言う事は分かる。理由は、TPPにいつまでも反対しているなら、嫌がらせをしてやるぞと言う事だろう。各地域の農協は自民党の票田だから、ここには直接は手を付けずに、頭部分をまず解体してしまえば、後はどうとでもなると言う事のようだ。安倍氏は言葉に実の無い人だ。積極的平和主義、と言うような不思議な言葉出本質を見えなくしてしまう。その事が、近隣諸国から見れば、本音では、侵略主義者なのではないかと言う、疑心暗鬼の闇を作り出す事になっている。建前は農業改革であり、本音では農業者排除。小さな農家を排除して、企業農業の進出を促すと言う事なのではないか。

安倍政権はいつものやり方で、自分の考えを代弁する規制改革会議をつくった。都合のいい「農協の改革案」をだした。①全国に700ある地域農協を束ねる全国農業協同組合中央会(JA全中)を廃止する、②農作物の販売を扱う全国農業協同組合連合会(JA全農)は株式会社にする、③地域農協のJAバンクなど金融事業は、農林中央金庫や信用農業協同組合連合に移す、④農業生産法人に企業が出資しやすくする、⑤農地の売買を許可する権限をもつ農業委員会は縮小する、などが答申である。すべては、竹中平蔵氏の考える、新自由主義経済と言う競争主義にして行こうと言う事だろう。その結果出てきた改革案が、結果として日本から農業から小さな農家を無くし、日本を韓国の様な、国際競争力一辺倒の国家にしてしまうという考えだ。安倍政権の自己矛盾である、美しい瑞穂の国日本という掛け声はどこに行くのかという事である。

一体進出した企業的稲作が、日本国内で生産して、国際競争力を持てるだろうか。現実には最初は日本でやるかもしれない、しかしそのうちには日本出身の企業がベトナムで、コシヒカリを生産して、中国市場に販売する。と言うようになるだけである。農業のように、土地と言う自然環境に、大きく支配された産業は、当然適地適作が競争力を増す事になる。バナナを日本で生産しても、競争力が低いのは当たり前のことだ。例外的には存在できても、広がる事はない。農業には、日本の国土を守る役割、食糧の確保という安全保障でも、他の産業とは違う点もある。総合的な国土作りから見れば、コンクリートダムを造るよりも、水田を確保する方が経済的合理性もある。山には豊かな森を作り、河川流域には水田を確保して行く。自然と折り合いをつけながら、暮らしてゆく小さな農家の織り込まれた里山資本主義。

JA全中の解体は、目的によっては悪い事ではない。安倍政権の意図している所は、農業の企業化である。日本的農家は確かに、競争経済の中で考えれば矛盾に満ちた存在である。しかし、人間の暮らしは経済だけではない。経済的には無駄なような水田を、ご先祖様からお預かりした物として、子孫に伝える事を自分の役割として耕作を続けてきた人が、無数の日本人として暮らしてきた。そこにある価値観は、お金だけではなかったのだ。農協や全中の悪い所は、農家の声を聞くシステムを失ったことだ。有能な農家は出荷すら農協を頼りにしなくなっている。お米を高く売りたいなら、農協出荷をやめると言う事は、当たり前の事になっている。農協が農業での経済の合理性を失い、不動産や、銀行業務で利益を上げる組織になった所に大きな問題がある。勿論アパート経営や駐車場経営で、しのいできた農家の実態でもある。農業改革はまず、大きな日本農業の総合的な方向を議論する所から始める事だ。

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