自治会の未加入のこと

   

朝日に浮かび始めた富士 10号 ワトソン 富士山は面白い。日本のイコンだ。

現在自治会長をやっているので、自治会の役割ということを色々考える。小田原には257の自治会があったのだが、254に減少したそうだ。加入率も90%を越えて全国一と言われていたが、現状76,5%まで下がった。東京に住んでいた頃、山北に住んだとき、どちらも自治会には加入していなかった。東京では自治会というものの存在自体が、希薄だった。東京では町内会というものがあって、活動をしているということは知っていたが、加入について聞いたこともなかったが、お祭りの寄付は集めに来た。入会の勧誘はなかった。ごみは戸別収集の場所だった。その後山北に移ってからは、山の中なので、そもそも自治会の範囲外の一軒家だった。自治会に入らなくともとくに困ることはなかった。ごみは自分で処理していた。小田原に移ってから、初めて自治会に加入した。地域の中での暮らしだし、地域の一員としてやってゆきたいと考えたからだ。養鶏業を地域でやるので、必ず反対がある。自治会に入らなければ、その反対が強くなるだろうという打算もあった。何度か自治会を通して、養鶏の苦情が言われた。

小田原に住んですぐに、公民館の役員の依頼があった。新参者の私に依頼がある位だから、成り手がないのだろうと思った。依頼には従うことに決めていたので、その場で引き受けた。引き受けたら、なんで新参者が公民館長などやるのだ、2,3回頼まれても断るのが慣例だ、と言われて驚いた。かつてはそういう意味の名誉職的色合いが役員にあったということを感じた。しかし、現状では役員の担い手がいない。それはどの地域でも同じことのようだ。農業が地域の仕事であった時代なら、互いの協力は必要であっただろうが、現状、自治会が無くなったとしても困るようなことはほとんどない。神社の祭礼が出来ない。それは良くないことだと思うが、そういうものを必要としている人ばかりではなくなってきている。子供のいない私のような家では、子供会や、PTA等も縁がない。夏祭りが無くなったとしても、現状のような形式的な川掃除が無くなったとしても、何か困ることがあるとも思えない。体育祭、防災訓練。無くてもかなわないという人が今や多数派になっている。

社会状況の変化が起きている。自治会にかかわらなくて暮らして行ける。自治会の恩恵も受けなくていい。こう考える人が増加している。それを食い止めているのが、ただ一つ、ごみ処理である。自治会のごみステーションに出してはいけないという、自治会の主張である。自治会のごみ置き場と言っても、ごみステーションはいわば市の道路上である。ごみステーションの掃除は、自治会がしていると言っても、私の組では、となりの未加盟の事業所の方が掃除をしてくれている。自治会加盟が義務ではない、ゴミは行政に集める義務があることは、最高裁判決が出ている。自治会は自主的な組織ということである。現状では自治会は、会員の情報把握すらできていない。個人情報の問題があるので、基本情報を集めてはいけないことになっている。もちろん家族構成も、電話番号も分らない。何かあった時にどうするかと考えると不安になるが、それも仕方がないというのが現状である。先日の新任自治会長研修では、孤独死があったのだが、対応できなかったということが出ていた。

行政は市民協働の推進という美名のもとに、行政の役割の範囲を縮小しようとしている。自治会は活動力を減衰している。その結果、地域の暮らし力の様なものは、弱まっている。その象徴が川掃除である。私が小田原に来た当初は、河床に降りて、草刈り、ゴミ拾いをした。それが徐々に後退して、今は川に降りないということが基本に成った。降りて作業できるような若い元気な人は、まずいない。女性やお年寄りが中心に作業をするのだから、川に降りるのは危険すぎる。実際に事故が起きているので、連合自治会の集まりでは、川には下りないようにと言われた。私もその方がいいと考えている。では行政で川の清掃をしてくれるのかと言えば、過去一度もそういうことはない。こういう実情は、市長が川掃除の見回りに来たので、伝えるだけはした。駅前の地下街などに費用をかける位なら、川掃除ぐらい行政ですべきではないだろうか。

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