6月の自給作業
紀伊半島 10号 海のそばに池がある。この池が不思議で面白かった。当然海と池の色が違う。この違いが美しい。美しいというのは絵として美しいということで、ここが難しい。
田植えの様子です。
田植えをやっている。5月の24日から、田植えの準備に入った。だいぶ棚田状の田んぼに慣れてきたので、田んぼ間の機械の移動や、水の廻し方が手順よく進んだ。それでも畑から戻した、耕盤のない田んぼなので、どうしても深くなる。出来るだけ浅くということを目標にやっている。上の田んぼから、順次進めるのだが、田んぼの中の石が目立つ。最初の頃より大きな石が浮き上がってきた感じだ。この石のせいで、トラックターの軸が曲がってしまったようだ。田んぼの水平も直してきてはいるのだが、まだ気になる場所がある。トンボで頑張るしかない。覚悟をして始めたことではあるが、極端に準備が大変な田んぼだ。今年は主力だった2人が独立したので、大変なことは覚悟していたが、新しく加わったネモリさんという方がほぼすべてに参加してくれて、頑張ってくれた。おかげで何とか準備が進んだ。30日に苗取りまで終わり、31日は、田植えが始められる状態になった。
大変なのだが、これが楽しい。楽しいということが自給作業の基本だ。自給作業は専業農家以上でなければならないと思う。それは楽しんでいるからだ。楽しんでやっていることが仕事としてやっていることに劣るようではならない。劣るのであれば、それは田んぼという、水土に申し訳がない。楽しんでいるということは、生きているということだと思う。生きているということがここに現われ、表現され、耕作という実際に現われる。だから、これがいい加減になっては成らない。と言ってもいつも限界が来る。この限界とすれすれのところで、田んぼをやる。綱渡りの様な、手入れを繰り返し、田んぼを維持して行く。この自給の田んぼの醍醐味は、自分が生きてゆくための基本となる、食糧を作るということにある。米、麦、大豆。野菜に、鶏。これで生きて行ける。生きてゆくということは、身体にきついところもあるが、実に面白く、楽しいことだ。
雨の降らない内に、大麦の刈り取りをしたい。大豆を刈り取れば、その麦わらが、一年の鶏の敷き藁になる。大麦は、今年は出来れば、ビールを作りたいと思ってビール麦にした。当然麦茶にも成る。野菜の苗はまだ、トマトとキューリが植えていない。田植えが終わり次第やりたい。遅れているが、それなりの苗は出来ている。水やりも遅れがちなので、トレーごと湧水のあるあたりに埋め込んである。その他の野菜は、順調に生育しているようだ。インゲンとゴーヤを誘引しなければならない。やらねばならないことを先延ばしにしていても、平気になった。何とかできる範囲でやる以外にない。トオモロコシは野口の種で見つけた「甲州トオモロコシ」である。子供の頃食べたものではないかと期待している。100粒の種を播いて、現在、80本ぐらいが畑で成長している。様子は子供の頃のものと違うような気もする。葉が赤かくなっている。こういうことはなかったように記憶しているのだが。
田植えは、今日は2日目になる。一日目の進め具合を書いておく。田植えは、11番からら始めた。もち米である。苗が混ざることが絶対にないようにした。次に1番をやって、7番、8番と続けてやった。5番、6番は2人で植えてもらって、並行して進める。この間田んぼが乾くのを待ちながら、線を引いてもらった。ここで昼休み。午後は3番をやって、2番をやる。ここで3時になって一日目の終わりにする。残りが、4番と9番と10番になる。4番はまだ乾いていないので、線引きも明日に伸ばした。水の廻しが難しいので、変則的になるが、今年のやり方は止む得ない所なので、記録して置けば来年の参考になる。線を引くためには、24時間ぐらい水を抜いたところがいいが、2番、3番、4番は水尻が高くて、うまく水の引きが、行かない、来年は直す必要がある。一番良くないのが、4番だった。全体に、土の粘りが良く成り、水持ちは良くなっているきがした。