小泉脱原発論

   

小泉元首相が脱原発論を主張している。時代感覚をとらえているし、ごく常識的な意見である。安倍自民党政権が、何故こんなに単純なことが分からないのかが、不思議でならない。原発のように、国策として進めてきた事業から転換することは、どこの国でも難しいことだ。しかし、日本は福島で深刻な原発事故を抱えている。今政府が方針を転換するとしても、大きな間違いとして国民も受け入れることが出来るだろう。早く方針を転換すれば、まだ日本は間に合う。今から原発推進をしようなどという国がまだあるのは、核保有が軍事バランスに重要と考えるからだろう。日本にはすでに十分過ぎるプルトニュームが存在する。むしろ廃棄もできない困難な状況である。その意味で、日本は核保有と、原発とは連動していない。もちろん核武装は、論外だがともかく議論の外のことになる。コストに置いて、相変わらず原子力は安い発電方法だという主張がある。しかし、すでに明らかなことだが、原子炉の廃棄や使用済み燃料の保管費用などを入れない場合の計算である。

原子力発電が本当は一番コストがかかるものだということは、政府には充分分っている。核廃棄物処分は、方法も場所も極めて困難である。このごまかしの延長戦にあるのが、もんじゅである。その昔、未来の夢のエネルギーとして語られたものだ。エネルギーを使いながら、エネルギーを産み出すような、高速増殖原型原子炉は技術的に可能性がほとんどない。核燃料サイクルは実現不可能な技術だったというほかない。資源小国日本としては、この技術の可能性にかけようとしたのは、やむえない側面もあったのだろう。しかし、可能性が極めて低いということが分かった以上。方針を早急に転換することが、現状の選択としては、最善の判断になっている。しかし、国策として今まで進めてきたために、原子力村の利権は、政治と結びつきがんじがらめになっている。簡単に転換できないということも想像に難くない。しかし、どこかでけりをつけなければ、日本はさらなる泥沼にさまようことになる。

原発推進論の政府は、2つのことを明確に示す義務がある。一つは安いという計算の根拠だ。簡単なことだ、計算を示すだけでいい。もう一つは、核廃棄物の処理法を具体化する。この二つについての材料が示した上で、国民全体で議論を行う。それをやらないとすれば、それは見通しが嘘だということになる。ずーと気にして待っているのだが、政府から説明を聞いたことはない。こんな基礎的なことが示せないということは、見通しがないと考えざる得ないではないか。あるいはもう一つの考え方がある。確かに原発はコストはかかるが、一応使える間は使うべきだという考えがある。すでに使えるものが存在しているのだから、このまま廃棄するよりはましだという意見だ。この場合も、なし崩しに方針なく進めるのでなく、将来の廃棄時期を含め、冷静な議論を進めるべきだ。

何にしても、今後の経営の計算を示してほしい。一番問題になっていることは、ぐずぐず曖昧なまま、なし崩しで行くという政府のやり方だ。確かに国民は時間がたてば、忘れるし、疲れて諦める可能性もある。しかし、小泉氏の主張のように、新しいエネルギーへの方向転換という大切なことがおざなりになる。小泉劇場はもう願い下げだが、国に勢いがつくためには、方向を示さなければだめだという点では、賛成である。民主主義で行くということは、様々な異なる議論は当然ある。その議論を無視するのではなく、十分に議論するということが大切だ。その結果双方に、不満な結論になるのかもしれない。それでも方向さえ合意できれば、再出発が出来るだろう。原発推進派は、十分納得のゆく説明をしなければならない。原発反対派は代替エネルギーの計画や、エネルギーを消費しない暮らしを提案して行く義務がある。

 - Peace Cafe