吉田昌郎福島事故現場責任者の死去
東京電力福島第1原子力発電所の元所長、吉田昌郎。享年58歳。見事な現場指揮官だったのだと思う。誰しもが逃げたくなるような、死に直面した事故現場において、最善を尽くそうとした。遠く離れた東京の政府や、東電本社からの、焦りの指示にも対応しなければならなかった。もし判断を誤れば、日本全体が深刻な放射能汚染で、人の住めないような土地になるかもしれない深刻な危機がせまる。自分の命をかけてこの深刻な事態を、乗り切ろうとした現場責任者。癌が原因の死去。つい長年原子炉を職場にしていた事を連想してしまう。今回の事故後のストレスも影響があったことは間違いがないだろう。脳梗塞も起こしたという。労災と言うべきだろう。東電に対してはともかく、吉田氏の存在には感謝の気持ちもある。死んだ人がいなかった事故などと、軽々しい言葉を吐く政治家は、命がけで最悪の事態を乗り越えた、この人のことを考えてみてもらいたい。
この事故は綱渡りであったのだと思う。きわどく、幸運にも、最悪の事態を免れた事故だ。以前柏崎刈羽原発で、地震による変電施設が燃えたことがあった。あの時に地震に対する電源施設の総点検を行えば、福島の事故は防げた可能性がある。あのときも、各地から起こった不安の声に対して、事故を小さく見せようという心理が働いたのだと思う。原発本体とは関係のない、電気の事故なので原発云々まで問題にする必要はない。こういい切り、対応策を取らずにすぎてしまった。安全神話が安全思想をゆがめていたのだ。その背景にあるものは原子力を安い電力と位置付ける、経営戦略がある。安全対策には限界がないから、どこかで手を打つしかないのはわかる。その時に、原子力が高いエネルギーになることだけは、避けなければならない宿命を負っている。割高であれば原発は止めざる得ない政治的配慮の中で成立している。本当に安全を追求していた原発からすでに離れていたのだろう。
今回の福島の事故ですら、その現実に向き合おうとしない空気がすでに出てきている。原発を再稼働しようと主張する者ほど、事故が2度と起きない対策を考えるべきだ。この点吉田氏はどのように考えていただろうか。亡くなった今、事故の真実が一つ消えてしまったということである。吉田所長は記者会見を避けた。たぶん東電がそう命じたのだろう。本来であれば、吉田氏は免責して徹底的に語ってもらいたかった。門田隆将氏による2回、計4時間半のインタビューだ。「死の淵をみた男 吉田昌郎と福島第一原発の500日」がある。私はこの内容をうのみに出来ない気分がある。ここで吉田氏は、事故直後に原発内で起きたことをかなり詳しく語り、最悪の事態の想定を「チェルノブイリ×10」と表現している。これは、一つの格納容器が爆発した場合のシナリオである。原発全体が高レベルの放射能に覆われるので、だれも原発に近づけず、福島第一原発(6基)と第二原発(4基)の計10基が放棄・破壊されるので「チェルノブイリの10倍」の放射能が出る可能性があったということだ。
私は当時同じ恐怖を感じていた。もう日本はだめになると本気で想像した。そして私自身の反原発活動が不足したことを悔やんだ。こういう時が来るということを、70年当時から予想しながら、そして今も予想していながら、何も出来ない現実に、恐怖を覚える。日本は民主主義国家ということになっている。選挙も公平に行われている。それなのになぜか、原発再稼働の自民党が優勢だという。この国をあきらめるしかないのかという、焦燥感というようなものがとりつく。私はあらゆるものにリスクがあると考えている。最高の食べ物と考えて、食べ物を自給している。その食べ物にも様々な汚染物質は飛来している。過去の核実験による放射能汚染も今回の福島事故以上のようだ。よく言われる自動車事故死もリスクの一つだろう。何故、原発がそうしたものと違うのか。原発は代替発電が可能だ。再生可能エネルギーがある。現状では既得権益だけの問題である。あるとすれば核保有という国防上の問題だろう。