欠ノ上田んぼ
欠ノ上の田んぼの航空写真
欠ノ上田んぼは10家族で運営されているグループ田んぼである。農の会にある10のグループのうちの一つである。田んぼ部分が2反5畝でそのほか果樹畑が1反ぐらいあある。久野川中流域で、諏訪の原台地から久野川への傾斜地の河岸を切り開くように、田んぼが作られたのだろう。この場所は河原だったのではないか。棚田であるが、谷戸田というような閉じた環境ではない。河岸に4mほどの高さのコンクリート積みが続いている。大雨の時の川の増水を考えると、コンクリート河岸がなかった時代は田んぼは狭かったと思われる。川と反対側には、バス道路がある。ここはさらに高いコンクリートの石積みなので、その以前の形はさらにわからない。たぶん江戸時代初期だと想像するのだが、どうやって田んぼが広がっていったのかを考えると、興味深いものがある。川の反対側には子の神神社があり、バス道路を挟んでは、観音堂がある。たぶんこの地点の川には、水車がいくつかあったはずだ。
自給時代の人の営みを想像すると、自然の地形というものが、地域を作り出してきたという気がしてくる。食糧自給を考えると、田んぼの面積だけ人が住めたのだから、人口も田んぼの面積から逆算出来るぐらいだ。欠ノ上の集落はバス通り沿いから、諏訪の原の台地にむかっての南斜面に広がっているのだが、むしろ今集落があるあたりの方が、田んぼに良い地形である。住む家より田んぼの方が優先されたはずだ。田んぼに出来ないところに集落はあった気がする。私の住んでいる、舟原地区は欠ノ上とはお隣で、箱根山麓への取っつきにある。つまり山仕事が中心にあったのだろう。一寸木さんという、名字の方が古くから何軒も住んでいる。江戸時代からの名前だそうだから、山仕事と結びついていることは、間違えがないだろう。欠ノ上は町場に続く集落であり、田んぼはより重要な位置づけだったと思われる。
欠ノ上の田んぼをお借りしてから、4年目となる。徐々に田んぼの様子が分かってきた。川へ向かって、どの田んぼにも湧水がある。湧いてくる水だから、水質としては問題はないが、田んぼの水管理には注意が必要である。石積みが崩れかけているということが大問題で、毎年の積直しが必要である。これは段々畑で耕作するためには、どうしても必要な作業だ。石積みも上手には出来ないのだから、根気良くやる以外にない。水路に土砂がたまることも問題で、水路が高くなるために、石積みの裏に水が流れ込み土をさらってしまう。今年は冬の間に一番下に1枚2畝程の田んぼを作った。この場所は、田んぼに2か所大きな穴があいて居て、田んぼに簡単には戻せないと思われていた。しかし、毎年少しづつ作業して、ついにこの冬田んぼに戻した。湧水だけで耕作する田んぼである。昔は苗床として使っていたらしい。いつでも水があったということもあるのだろう。田んぼに大穴があいてしまい、通年の田んぼ管理が難しかったということもあるらしい。
田んぼ以外に一反程の柿と栗がある。ここは川からの空気の気持ちの良い場所で、道からも視界が遮られている。なかなか落ち着ける場所だ。だんだんに整備して行けたらと思っている。今年は、里芋、枝豆、安納芋を植えた。岩本さんというメンバーが、クリスチャンセンターのエルムというところに食材を提供して居るので、ここに少しでも材料を提供出来ればという気持ちである。柿の木の下に鶏糞堆肥を播き、トラックターを入れて3回耕した。ずいぶんと良い土になった。秋が楽しみである。昨年までは草管理だけで精一杯であったが、果樹の廻りを畑にしてくれたので、その分とても良い場所になった。欠ノ上田んぼのメンバーは、熱心な人が多いので、技術的にもすぐに高まるだろう。私も一緒になって研究して行きたいし、知っていることはすべて伝えたいと思う。