倉田ペッパー
倉田ペッパーを取り寄せた。倉田ペッパーとはカンボジアの日本人倉田さんの作る胡椒のことである。カンボジアはその昔胡椒が作られていた。しかし、ポルポト政権による国家崩壊状態が続いたため、カンボジア胡椒はほぼ絶滅していた。その胡椒を産業として復活させようとしているのが、日本人倉田さんである。倉田さんの胡椒には物語がある。食べ物には必ず物語がある。物語を聞く耳を持つか持たないかである。ナンシーで暮らした頃、カンボジアの人たちと交流があった。ポルポト政権による弾圧によって、国外に脱出してきた人たちの、フランスの一時避難を受け入れている、カンボジア人協会のようなものが、ナンシーにあったようだ。フランス語を話すカンボジア人が沢山いた。フランスはベトナム、ラオス、カンボジアを支配し植民地化していた。その為に、フランスとは関係が続いていた。富裕層と思われる人たちが、留学生としても来ていた。
ナンシーで接するカンボジア人の人間の穏やかさというか、優しさいい人たちだと言う事が良く分かった。一度訪れて、カンボジアの虜になる日本人が沢山いるのが良く分かる。倉田さんはタイ国境の難民支援に行かれたのは最初のようだ。そこで復興の始まるカンボジアに難民キャンプから送り出していたが、カンボジアに帰っても仕事が無い。そう言う話を聞くことになる。それで何とかカンボジアに仕事を作り出せないかと、倉田さんは考える。そして、かつてカンボジアは世界最高品質の胡椒を作っていたという事に気付く。そして、カンボジアでかろうじて3本の胡椒木が残っていたことを見つける。この品種を何とか増やし作りつづえけていた農家に出会う。そこからも、倉田ペッパーが生まれるまでの苦闘は続く。この苦闘は、日本人の誇りでもある。素晴らしい日本人の若者がここにもいて、カンボジアの農業の再生に本気で取り組んでいる。
倉田ペッパーはアマゾンで買える。50グラム399円で送料込というから、そう高いものでもない。倉田ペッパーはドイツで一番売られているらしい。有機栽培という事もある。味が良いという事もある。ドイツ人の胡椒の消費が大きいという事がある。肉の保存を考えると故障というものは必需品である。我が家では毎朝野菜スープを飲む、そこには胡椒を掛ける。味が締まる。その時倉田さんという人が頭をかすめる。食べ物は生産する人の気持ちも頂いている。食べ物が人間を作り出す、根源とも言えるのだから、良いものを食べた方が良い。良いものとはただ美味しいとか、安いとか、そう言う事ではないだろう。手元にある胡椒を眺めながら、倉田さんという日本人に思いをはせ、感謝と豊かさに触れる。
そしてそういう物語を日本でも、作り出せないかと思う。私の暮らしている久野にも物語が無尽蔵にある。どの食べ物にも物語がある。手前味噌である。自分の手を掛けるという物語が、自給の魅力である。自分で作ったお米で暮らす事が出来る、自給の物語は自分という人間を作り変える物語である。そうしたフィールドを提供して行く。無限とも思える耕作放棄地を自給の農地に作り変えて行く。産業としては使う事が出来ない農地を自給の為の農地として見直してゆく。倉田ぺパーは経った数ヘクタールの胡椒畑である。これがカンボジアの農業の再生の、一つの導になる可能性は高い。倉田ペッパーも都会への農村人口の流出によって働き手の不足が起きているそうだ。どうやって、地域の中で周年雇用が可能な体制が作れるのか、オオガニックコットンの草木染めの生産を展望として持っているらしい。有機農業というものが、農村の再生の糸口になる可能性は高い。