東京都美術館の見学
東京都美術館は長期間改築をしていた。9月25日から10月3日水彩人展を開催する。その為にの下見をした。一番気になっていたのは、会場の壁面である。以前の都美術館は暗めであった。壁の色のこともあったが、壁に沢山穴があいていて、目障りであり暗い雰囲気を作っていた。今回は壁は明るくなった。ほぼ白に近いクリーム色。照明も明るくなった。新国立美術館が穴あきボードをやめて、ワイヤーで釣ることになリ壁はきれいである。都美術館は展示の利便さの方を選択したということなのだろう。大きく変わったのが床で茶色のじゅうたん素材である。びっくりするくらい暗めで静かな雰囲気になった。壁の白さが際立つ感じである。しかしここに絵が入ることを考えるとちょうどいいのかもしれない。公募展では壁など見えないというほど、一杯に絵がかけれられる所が多い。壁の移動は3,8メートルピッチになった。天井の照明と連動してということになる。
部屋の配置や、導線についてはそれほどの変化はない。地下の審査室や搬入出室はほぼ変化なしとのことだ。見るつもりで出かけたのだが、まだ出来ていないのでだめだという事を言われた。4月1日から始まるというのに、まだ下見も出来ないというのは大丈夫かという気もするが、対応が面倒ということのほうだろう。2時間あった見学時間のうち、1時間が書類上の説明で届け出の詳細の調整だった。確かに役所的には、こちらの方の為に来てもらったということだろう。バリアフリーということで段差が無くなり、事務室にもエレベーターで入れる。トイレの配置も少し変わった。同時開催の会場の連携は、通路が繋がり、とても良くなった。食堂は2つになり、少しは余裕がある。以前は一度下に降りて戻るという事だった。むしろ変わったのは企画展示の会場のようだが、これは見れなかった。彫刻展示室もだいぶ変わったようだ。階段にエスカレーターが付いて、とてもは入りやすくなった。
帰りに、カヨ子さんが鶏の作品を出しているので、新国立美術館を見に行った。アンデパンダン展を見た。都美術館と比べてみたいということもあった。一番の違いは、周辺環境だと思った。上野は恩賜公園という広い空間的背景がある。美術館のあるべき場所という感じがして、駅に降りる気持ちが違う。新国立は館内の空間が広い。ガラス張りの巨大な吹き抜けで、特別な場所を演出している。非日常空間。都美術館のルーブルのような王宮系を真似たような大げさなものでなく、暮らしの延長上にある美術館という当たり前の空気がする。役所や病院に近い様な空間。これはこれで悪いものではない。芸術作品をどういう場所で見たいのかということになる。小田原でいえば、城址公園であるか、文学館や松永記念館のあたりか、あるいは一夜城付近か。それは芸術作品というものをどうとらえるかで変わってくるのだろう。私は一夜城あたりで見たい。改めて出掛けてみるのだが、広々とした自然の空間がある場所。いわばMOAの美術館があるような場所である。
ついでに言えば、アンデパンダン展の絵には少々がっかりした。ありきたりの公募展と変わらない。無審査を長年行ってきた結果、公募展に引きずられて、精神の独立と自由を失っている。他にはこれはないという面白いものもあったが、大半は公募展作品である。公募展の呪縛が、アンデパンダン展に及んでいる。公募展と何が違うのか、明確な意識を失っている。「水彩人展」は独自のものを目指している。いまだかつてない展覧会を目指す。そうでなければ今さらやる意味が無い。水彩画という絵画を何としても確立する。アクリル画や日本画とは違う、水彩画というものを探求する。水彩画には、発想の原点を直截に示す。いわば脳のメモのような表現がある。大げさな装飾美を排除した、イメージの原型にたどり着く様な表現がある。大半の水彩画が、亜流の油絵であったり、日本画であったりするのでは、水彩画の本質的なあり方を、見失っていると言わざる得ない。