人口減少時代

   

人口の減少が勢いを増して来た。希望の出てくるニュースである。社会の防御システムが働いている。日本の自給率が40%と言うことは、人口は半減すれば健全な状態になる。食糧の自給の範囲で各国が暮らす事が、人間の社会のバランスである。今の時代にまだ人口増加を望む政府など、時代錯誤もほどほどにしてほしい。世界を見渡せば当たり前の事だ。政府はGNPの増加には人口増が必要くらいの浅い考えである。小田原も減少の著しい地域に成る。さらに減らなければ、小田原の住環境も農業環境も改善されないだろう。そのつもりで将来のビジョンを立てる必要がある。自給農業地域に位置付ける必要がある。(このことは又改めて)あしがら地域全体で、人口が20%ぐらい減れば、自給圏として地域が成立する。これから始まる老人の暮らしを、私なりに考えておきたい。まずは自分のことから。3,11以降大分残りの人生に対して考えが変わった。楽隠居から、働ける限り働く隠居へ。

人口減少は団塊の世代が、死ぬまで頑張って若者に迷惑をかけなければ、乗り切れる。乗り切れば少しは良い状況になる。団塊の世代には、こんな社会にしてしまった責任がある。せめて自分達の世代のことは互いに支え合って、死ぬまで頑張るしかない。農業者の平均年齢は66歳を越えたと言う。私が66歳になる頃には、70歳になっているだろう。70くらいまでなら農業はやれるという事だ。10年間は今の程度には働こう。食糧の自給は生きて居る限り続けたい。老人でも可能な楽な農業を探しながら行こう。70歳を過ぎたらばグループホーム的な暮らしを模索しなくてはならないだろう。年寄り同士で支え合う形。若い人たちには職場になるような方法。地域の中にそうしたものがどう折り合えるか。これからの検討材料。どこの地域も老人世帯が増えて行く。これを統合してゆく手法。10軒を1軒にして、ゆったりとした老人グループホームにする。その経費は余る家や残地の販売で賄う。(これも改めて)

政府が人口がを努力して増やすという無理な願望を、進めている理由が分からない。もう貧乏でやって行くしかない。誰しも話してみれば、「小田原では人口はもう増えないよ。」と言うのが普通の意見である。千葉県全体でも人口が減少したというのだから、当然のことである。行政が抱える様々な問題の解決法に、人口が増加して税収が増えると言うような、バブル期の意識が残っていてはだめだ。縮小してどうバランスに到るか。今ある天文学的な量の赤字国債の山積み。政治は発想の転換である。人口減少を敗北主義のように受け取る。人口減少に対する方策は、女性の社会進出である。これを可能にする政策。現在の社会では女性の方が能力は高い。能力が高いにもかかわらずまだ社会進出がない。農の会ですら、女性の代表がまだいない。自治会でも、農協でも、女性が参加されることは実にすくない。

人口減少はいい、とは言いながら舟原は人口急増地区である。70軒だった地区で、毎年、1軒づつは増えて、現在は84軒になったという事だ。本来人口が増えるはずのない、市街化調整区域であるがゆえに、住宅地として人口が急増する。舟原の環境が良いから人口が増える。矛盾したような不思議な現象であるが、都市計画がないからである。土地が細かく分割されてゆくことは、将来に禍根を残す可能性が高い。小田原の現状は無秩序である。無秩序の中で、国の法規制だけが生きているから、ますます暮らしにくい地域に成ってしまう。人口が減少する中で、大きな方向を定めなくてはならない。久野地域は農業を振興して行く地域と位置付けられている。それならどのように農業地域を維持するのか、ビジョンを住民が持てるよう、調整するのが行政の役割である。老人農業者が減少する。理想論はどうでもいいので、緊急に後継者を受け入れる形を考える。このまま住宅が混在して行くことでは、農業の振興は無理になる。

 - 地域