足柄茶
毎日新聞の澤記者が足柄茶のことを書いてくれている。とても心がこもった記事である。新聞の記事もこういうものであれば、いい。澤記者は段ボールコンポストもされている。先日、取材させていただいた。タケさんのブログには澤記者の昔からの事が書かれていた。先日の取材では澤記者は小田原に自宅をつくり、小田原勤務を希望してこられたそうだ。ダックの焼却施設問題のときにも、記事として取り上げてくれた。小田原と言う地域に密着して、長い暮らしを通して小田原に関する記事を書いてくれる。これは有難いことだ。この記事に出て来る、山北の岩本さんはエコループの建設反対運動の時に頑張ってくれた人だ。地元で頑張る人がいてこそである。エコループの時も、ごみ処理施設が来ないのはいい。では砂利採取跡地をどう利用して行くことが出来るか。いつもこのことが話されていた。その一人だった、瀬戸さんが町長に成って、その後どうだったのだろうか。反対した一人として気になっていることである。
当時跡地でのお茶栽培の話も出ていた。機械化したお茶畑は出来ないかと言う話だった。地域の人がやると言うのであれば、私も加わっても良いと話したりもした。その後、田中康介さんのお父さんも亡くなられて、山北の峰集落にも出掛けることも無くなってしまった。第2東名の事から始まった、CO2の測定活動を通して良く伺っていた。峰集落には地域のお茶工場があり、田中康介さんはこの工場で製茶を勉強した。今は利用されなくなってしまったこの工場は、農林大臣賞を地域の集団活動として受けている。モデル的な地域の活動であった。その後、道の駅への出荷などで、活動を継続していると伺っているが。今回のお茶の放射能では、峰のお茶も打撃を受けただろう。問題はこの後お茶がどうなるかである。日本人は忘れやすいから、一年も経てば足柄茶の売れ行きも戻るだろうか。岩本さんのコメントとして、茶業センターは今月1日から「足柄仕立て」の販売を始めた。規制値を下回った秦野市と開成町産の茶葉に、足柄茶と品質が近い鹿児島県産を2対8の割合でブレンドしたものだ。「足柄茶として販売できないから、苦肉の策とも言えるけど、ブランドを継承し、守っていくための方策の一つ」
茶業センターとしては仕事を創出して行かなくてはならない。倉庫に眠ったお茶の事もある。放射能汚染の影響は次から次へと波及して行く。今一番不安なことは、来年の新茶がどうなるかである。農の会では出来るだけの対応をした。お茶畑にある、畝の間の腐葉土をすべて持ち出した。もう一度、秋にお茶を刈りこんで処分する。これでどのくらいの放射能が新芽に出るかである。手間暇を考えると、ここまでやれる農家はないと思う。今になって農水省が発表したが、農地を除染するには、表土を取り除くしかない。そんなことは最初から分かっていた。早く発表しないから、すでに多くの農地は耕運されてしまっただろう。ヒマワリはさして放射能を吸収できない。そんなことも十分わかっていた。植物の根からの吸収は極めて少ない。中ではヒユナが良い。このことはブログには書いた。農水は5月に言わなければ遅い。今は藁と糠である。稲刈りは進んでいる、農水は早くしなければならない。
大きな流れとして、お茶を飲む習慣が若い人から、無くなってゆくだろう。放射能はその引き金を引いた。若い人の間ではすでに、ペットボトルのお茶が主流になっている。急須がない家庭が沢山ある。敢てお茶を飲まないでも、飲料は多種多様だ。お茶自体の消費量はボトル茶に支えられてきた面がある。ペットボトルにもお茶の産地を表示することが義務ずけられ、国内茶葉を振興しようとして居た矢先のことだ。しかし、表示をすれば静岡より北の茶葉はイメージの低下が大きい。果たして足柄茶の産地は大丈夫だろうか。福島原発事故は、想像以上の範囲でその被害を広げている。一体東電にはその自覚があるのだろうか。もし良心があるなら、原発の即時停止だろう。もう一つ原発の事故があれば、本当に日本は立ち直れないことになる。お茶産業の未来に対して、とても厳しい将来が予測される。