第3の開国

   

一回目の開国は、黒船の来襲である。アメリカ帝国の武力による開国の要求。結果として無理やり、押し付けられた不平等条約である。2回目の開国は太平洋戦争の敗戦による開国。自由と正義を押しつけるアメリカ合衆国の占領下の開国。そして3回目の開国は、3度目の正直で経済破綻アメリカからの属国化の要求である。いずれの開国の要求もアメリカによる武力を前提にしたものである。管政権の背景には経済以外眼中にない、売国的資本家たちが居る。日本を売り渡したところで、じぶんたちの当面の経営がしのげればいいと考えてのことだ。管内閣は脅かされて、法人税を下げた。アメリカ人ではないかと思えるアメリカの権益を主張する前原外務大臣。お先棒を担いでアメリカでちやほやされ意気揚々である。

TPPの本質を見破る必要がある。経団連は農業改革案として、大規模農家への集中的支援と、農地の企業所有を主張し始めた。経団連のいいなりの管内閣は受け入れてしまいそうで怖ろしい。企業が農地を所有したいと考える本質はどこにあるか。大きく言えば税金対策でないか。農家の駐車場経営と同じである。企業利益を農地の取得に置き変えて行く。必要経費であり、農業は損益を計上しやすい。その上に、補助金ももらおうというのである。農業生産を大規模に担うことで、国民の食糧支配もできる。大企業農場が優良農地を独占してしまえば、中山間地の小規模、条件不利農地を支えることは、いよいよ継続困難になる。利益など農業分野で出さないでもいい条件。ワタミ農場のように、自分の飲食チェーンで売ればいい。あるいは自分のスーパーで売ればいいところと、普通の農家が経済競争は平等とは言えない。

関税の撤廃そのものには悪いも良いもない。世界の方向がそう進んでいるというものでもない。国際貿易の一つのやり方にすぎない。その方が企業は活動がしやすいということだけは確かだ。利害でこのことを判断してはならない。関税が無くなるということで、不平等が助長されてしまう現実がある。地域には地域の事情がある。そして、食糧の生産は本来地域の中で循環させ、その生産力に応じて人間が暮らす事が、安定した人間の営みにつながる。消費税などに食料品を除外するのと同じ、人間の生きる基盤を商品と考えないことである。金銭的に豊かな国が、遠い地域の水資源を独占してしまい。貧しい地域から持ちだす事など、許されないことである。生活の基本となるものは、他の生産物と同じ扱いをすることは、人間の安定的な暮らしに繋がらない。国という範囲が単位として適正であるかは別にして、食糧を人間の知恵として、有効に利用することではないか。

日本人を捨てても、お金に執着するか。武士は食わねどとやせ我慢で頑張るか。日本全体の富は50年前私が中学に入学した頃を思い出すと、確かに増加している。しかし、格差は増大している。法人税を4%下げれば、その分労働者に分配されると期待されたが、春闘では1%の労賃の値上げも大半の企業が受け入れないという主張である。まして中小の利益の出ない企業に法人税は関係がない。貧しいところはより貧しく。これが管政権の一貫した政策である。この点新自由主義を主張した小泉内閣以上の、経団連の利益を先取りする政権である。悪い自民党を棚ぼたで、民主党に変えた日本。より悪い民主党が出現するだけであった。これは、近づく地方議会選挙でも同じことが起こる可能性がある。政策を良く良く吟味しなければならない。

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