津田塾の学生の意見

   

なるほど、なるほどと、読ませてもらった。伝えるということの難しさは常日頃、感じていること。絵を描くというのはそもそもそういうことである。最初に見てもらった岡田監督の映画と、私の話が違っているというもっともな感想は、実に面白い。同じものを違う人が説明すれば、違うことになる。ただその違いを含めて、というか覚悟をして、伝えて行く努力はある。今大学の4年生は就職で苦しんでいるらしい。就職試験というものを受けたことが無いので、良く分からない。大学を卒業した時は、フランスに行くことにした。別段、清算があった訳ではない。絵が描きたかったからだ。どこでどう絵を描くことが一番やってみたいかを、考えただけだ。それならというので、ありとあらゆる方法で、お金を貯めた。だから大学を卒業してからも働いた。渋谷にあった職安に行って、一番高い給与のところをお願いしたら、エレベーターの組立工であった。三菱エレベーターの下請けの下請けである。

一人ひとり読んでゆくと、どんな人かは分からないが、それぞれの生き方があって意見を持っている。実に、しっかりしている。大学生なのだから、当たり前のことか。私だって、あのころが頭は一番動いた。パソコンでも買ってから何年目かに実に使い良い時期がある。賞味期限切れ。多分頭の中も、使い勝手がいい時期があるのだろう。頭がフリーズすることはまだないが、ときどき回線が切れるので、コンセントの差し直しが必要になる。舟原がケーブルテレビ局の電波が弱いのと、似ている。読みながら、ゆっくり一人一人と話し合って、その人の問題として、考えなければとか思ってしまった。一人と50人では、ここまでかなと思う。話す内容は考えてメモしておいたのだが、話しているうちに肝心なところは抜けるものだ。生業として成立していない社会の領域を、どのようにフォローして行けばいいかということを話したかった。

しかも、地域にコミュニティーが失われている。混乱するのは、形骸化したものとしてあいまいな地域コミュニティーが残っている。次の時代を考えれば、個々人が暮らしてゆくということをとりまく、社会をどう形成するか。人間は一人で生きられる訳ではない。しかし、地域とは全く別の社会で生計を立てている人が大半である。そのほとんどが給与所得者である。地域のコミュニティーを必ずしも必要としていない。行政を挟んで、地域の一員となっているに過ぎない。繋がりがあるとすれば、税金ぐらいである。その対価を住民サービスしろということになるだけだ。昔は良かったとする地域住民もいる。としても、昔は厭だったから、地域の崩壊は起きたとも考えなければならない。地域の煩わしい人間関係が厭だから、都会に出て行くというのは、日本のどこでも起きていることだ。再構築しなければならないのは、煩わしくない人間関係である。いつでも入ることが出来て、いつでも抜けることのできる、コミュニティーである。そんなゆるゆるのものでは、どうにもできない。把握もできなければ、運営も出来ない。というような具合でなければ、人は集まらない。

就職のことであった。就職は全く結論ではない。解決でもなければ、回答でもない。ただ一度の人生を生きるということは、好きなことをやるということだと思っている。それが面白い。それさえやっていればもうそれでいいという事さえ見つかれば、後のことはどうでもいい。まあ、それが難しいという実感もある。結局本当に好きなのかは、やり切ってみなければわからないものだ。先日ラジオで、列車の車内販売のカリスマ売り子という人が話していた。この人は本当に車内販売が好きなのだ。全身全霊で、その仕事を全うしている。立派な姿で感銘を受けた。そう言えば、マッチ売りの少女のような、買わずと居られない、車内販売員の話もどこかで読んだ。田んぼが好きだから田んぼをやる。その原点を支えようというのが、農の会である。好きでやってみたいという人がいるのに、機会がないということを何とかしようということになる。

 - あしがら農の会