久野の里地里山事業
三つの行政と連携する、地域の事業に関わっている。「美しい久野里地里山協議会」「小田原有機里作り協議会」「小田原市生ごみの堆肥化検討委員会」の3である。そのほか「めだか協議会」等もある。行政の仕事は3月末で、一区切り。2009年度の事が取りまとめられている。とくに、里地里山では私が会計担当だから、会計報告をまとめなければならない。会計をまとめると言うのは、全てを総括すると言うでもある。総括はしないというのが、普通の市民活動である。どんな事業でも総括をすると、どこの誰がこんな問題があったと言う事になる。そう言う事は避けておいた方が無難と言うのが、普通の知恵のような気がする。小田原市行政では大きな人事異動があり、新体制での再出発が今日からと言う事ではないだろうか。4つの組織へのかかわりを考えておきたい。
「里地里山」については、他の全てを辞めても集中しようと思ったが、組織の方に関わることには問題が感じられた。久野の農地の再生の方に集中する事にした。久野でも耕作放棄地は、じわじわと広がっている。先日、ある方から聞いた話では、みかん山の一反を売りに出そうと考えて、不動産屋に相談したら、50万から、100万だと言われて、それならやめるべぇー。と考えたそうだ。こうして放棄地が広がる一方で、新しい農地利用が見えてきている。予想通りというか、相当に苦労はしたが、久野において、あしがら農の会関係でほぼ1ヘクタールの農地の再生が出来た。今まで小田原においての農地の再生は、障害が大きく、困難を極めてきた。それが「元気回復事業」という国の予算がきっかけになり、少しほぐれてきた感じがある。里地協議会の存在も地域においては、安心感に繋がってきている。以前はあしがら農の会は5年間借りると、自分の土地に成ると考えて借りまくっている。などというデマが流れていたぐらいだ。
「有機の里」では堆肥作りの講義が年度を越えて行われている。この後もまた続けられそうである。堆肥についての、基本的な意味が少し理解できて来た。先日も農の会の集まりで、熱く夜中まで土壌とは、耕作とは何か。語り合った。土壌を豊かにイメージすることが重要だと思う。土壌の世界をどこまでイメージ化できるか。土の中で微生物がどんな活躍をしているのか。学問的な研究の蓄積と、実践的な農業者の目が、ここで融合されてゆく事が意味を持ってくる。どうしても実践的農業者は、自分の経験という枠で、頭が固くなる。信念の人になりがちである。それを、学問という科学で解きほぐして柔軟にしておく必要がある。「どうせ学者が言う事だ。」こう言う先入観を持ってしまわないこと。自分の頭を常にほぐしてゆくこと。自然のイメージをどこまでも広げる事。
「生ごみ」はモデル事業が始まっている。始まっているが、行政の姿勢が良く理解できない。市民力と行政の関係。市民を一番理解出来ないでいるのが、行政。行政の下請けと考えているのか。行政職員の削減部分を市民力が補うくらいに考えている節がある。行政は権力である。行政には責任と義務が存在する。この自覚が不足している。実行するのは市民である。行動するのは市民である。「市民が動けるように、整える。」これが行政の役割である。ダンボールコンポストをスーパーの前で配布活動を実際に行うのは、それを必要だと考える市民である。その行為を公的なものとして、調整するのが、行政の役割である。どうも逆に考えている行政職員が多い。熱心な人ほど、休日出勤でスーパーの前に一緒に立とうとする。そうではなく、こうした活動が市の生ごみ堆肥化の方針である事を打ち出し、広報してゆくまでが、行政の役割である。「めだか」に関しては、道路が日々出来て行くのを見て、興味を失っている。