田母神元航空幕僚長
自衛隊内部の言論の自由は確保されているのか。田母神氏はこれで更迭されるのでは、北朝鮮と同じであると主張している。確かに一理はある。一方、懲戒処分がないというのは正当なのか。政府によって幕僚長に任命された。にもかかわらず、今になって更迭とは、おかしいのではないか。当人がこう考えても無理はない。自衛隊内部では、田母神氏が幕僚長になるのだから、こうした、歴史認識は了解されている。と考えて来たのではないだろうか。公式の政府見解は、村山談話に基づいているが、これはあくまで、中国、朝鮮への外交上の、建前論である。本質的には政府自民党の大半の議員が、田母神氏と同じ考えであろう。自衛隊中枢がこう考えている人間が、多数派である可能性が高い。自衛隊を明確に軍と言い切っている。自衛隊内部では、内心拍手喝采ではないだろうか。軍という、仮想敵国を作り、日頃、死者も出るような旧軍隊と変わらない、肉体訓練をして、それに耐え切った人間がどのような思想を持つものか。同じ懸賞論文に78名の自衛官が応募していたことがわかった。
シビリアンコントロールは可能か。田母神氏はクーデターなど考えたことは、一度も無かっただろうか。彼の態度言動を見るに、配下には、旧軍隊の青年将校のような人間が育っている気がする。そうした支持層に対しても、毅然とした態度を取ろうとしているのではないか。日本は軍隊を持たないことになっている。そこで憲法9条を曲解して、自衛隊という軍隊を持つ国に成っている。そこで働く人達の精神は、一筋縄ではいかないであろう。背広組みの上層部が、汚職で薄汚い行動を取っている。当然のごとく納得行かない、気持ちを育てていないだろうか。今回の更迭でも、くさい物に蓋をするような姿勢が見える。田母神氏に向かい合おうとすら政府はしない。尻尾きりの態度だ。政府内部にも共鳴し、同調する人間は、居ないはずがない。向き合おうとしないことこそ、言論の抑圧ではないだろうか。懲戒処分無しは、今回の行為を判断しないと言う姿勢の現われだ。退職金の自主返納などまさに、9条の曲解と同じことだ。
言論の自由は自衛隊の内部にも必要だ。大いに軍事や政治について、主張し論議が起きるべきだ。政府見解と異なることは、議論においては一向に構わない。そうした思想信条を理解したうえで、誰をトップに選ぶかは、時の政府の行うことだ。議論そのものを封殺しようとする態度は、どんな分野であれ、いい結果を生むことはない。自衛隊の内部の思想信条が、国民に見えない現状が一番良くない。隊員に対し、偏見や差別を生む要因になる。自衛隊員の側も、黙って静かにしていることが、処世術として有利であるでは、状況が改善されることはないだろう。大いに主張すべきだ。その昔反戦自衛官と言う人が存在した。自衛隊の本質から言えば、そうした存在もありうることだと思う。専守防衛という思想が、育っていない。武力による抑止力の思想が、深く議論されていない。軍はなければないほうが良い。しかし、近隣諸国の現状を見ればそうもいかない。という論議は現実味がある。「どうすべきか」は改めて書く。
今回の田母神氏の件は、こうした思想の持ち主であることを隠していた訳ではない。この人の思想を今になっておかしいというのでは、政府の責任が果せていない。先ず管理者責任を明確にすることだ。イラク派兵を違憲とした、名古屋高裁判決を関係ない。と発言しとき、政府もそのとおりと考えたはずだ。政府の方が二枚舌ではないだろうか。「建前と本音ぐらいわかってくれよ。」こういう政治家的姿勢が、自衛官に通用してはいけない。人間は機械ではない。政府の都合よくだけ動いてなぞくれない。自衛隊の中が良く見えるようにして、大いに本音で議論できる状況を作り出すことだろう。封殺しようとすれば、地下にもぐってコントロールなど出来なくなる。先ずは、田母神氏の本音を充分に国民に見える形で、聞いて見る事をしなければ、この事件があぶりだした折角の実態が、又闇の中に抑圧された形で、内在することになる。参院外交防衛委員会は、田母神俊雄・前空幕長を11日に参考人として招致することを決めた。インド洋給油の是非と結び付けてはならない。
補足、懸賞論文応募の4割に当たる。94人が自衛隊員であったことが、防衛省より発表された。
昨日の自給作業:麦まきの準備1時間 累計時間:10時間