小田原市議会中継
小田原ではインターネットによる議会中継が始った。以前からテレビ中継はあったのだが、中途半端なもので物足りなかった。理由がわからないのだが、再質問が省略されていた。一般に、議員の質問は最初に、大枠を尋ねる。それに対して、市長が建前を答える。では、となって肝心の問題点に踏み込んで行く場合が多い。だから、再質問が中継されず、最初の大枠と建前だけを見ていると、何か、間抜けな人達だとみえる。肝心な事を聞かないし、答えない、何か小学校の学級会より低レベルなものに見えていた。テレビ中継を全部だと勝手に思っていたのだ。めだかの事で議会で質問があるというので、みんなで出かけていった。そこで、再質問、再々質問、再々再質問と核心に触れてゆくのだと言う事を知った。結構鋭く問い詰めていた。思わず、副市長が、めだか協議会で環境アセスに当たる活動を行う事を発言した。詰め掛けていた、メダカの関係者はこれは重要な発言を約束してくれたと、大いに喜んだ。
とことが後日、めだか協議会の席でその話を確認すると、実に曖昧で、その席に出ていた行政側はその発言にすら、気付いていなかった。議事録の確認を要求すると、どうも私たちの解釈と違うのだ。議事録文面を見ても確かにニュアンスが違っている。改ざんがあったと私たちは考えたが、議事録についてはそれ以上は追求せず、その代わり、実質的に協議会の決定と言うものを重んずる。と言う実質の変化を得た。厳密に考えると、協議会と言うものにそんな権限を持たせる、と言う根拠は何処にもない。方便と言うか、実質はメダカの保全に大きく係ってきたもので、協議会の地元参加者の活動が無ければ既にメダカは居なくなっていた。熱心な日々の活動を続けていた。建前より、実質を行政と、一体になって取り組むスタンスを、両者が探すことに成った。その結果、道路が出来るという中で、最悪は免れる現状に進んだ。もちろん、保全地区と言う条例の網をかぶせなくてはならないのに、まだ、工業団地計画の尻尾が切れずに、中途ではある。
議会発言は重いものだ。平日の昼間の開催で聞きに来いでは、市民軽視だ。議会の全面的中継と録画がいつでも、確認できる状態は、画期的なことだ。今度の市議会でごみ広域化について質問する議員がいるのかどうか。その質問と、回答を重視している。小田原市民にとって、現在一番の政治課題だと考えているからだ。この議会において、市長の言う、市民参加の具体的提案はあるのか。それを問いただす市議会議員は、居るのかどうか。市民が見て聴いていると言う事で、議員のレベルも白日に晒されることになる。正直怪しげな議員も居る。茨城県議会では居眠り写真が出たが、小田原でも寝ている人はいる。理屈をつけて、質問をしないという議員も怪しげだ。この難問山積みの小田原で、意見がないような議員は、端から不用だ。給与を払う意味がない。録画もあるそうだから、じっくりと確認させてもらう。
城下町ホール等の市長の見解が出ている。ごちゃごちゃしていて私には良く理解できない部分が多い。市民の興味は引いているが、小田原全域、全分野から言えば、一部の事である。早く片付けてもらいたい。もっと視野を広げて欲しい。市民参加という積み残し課題に、進んで欲しい。その根本には財政不安の事が存在する。器を作ることより、その後の管理が問題だ。ホールはあくまで器だ。そこで行われる文化活動の内容が肝心だ。市民の参加、係り方がどうなるかだ。現状では芽生えはあるにしても、展望のない状態だと思う。財政的に余裕がない中で、どのような市民の参加を促す事が出来るか。こっちの方を平行して進めることが、緊急課題だ。一日も早く、下支えをする市民の募集を行う必要がある。一般市民を一人でも多く募集し、希望者全員参加の文化会館運営協議会を立ち上げる必要がある。と言っても、今までの積み重ねがない中、簡単に協力者など集まるものではないが、ともかく、器ではなく、内容の方を議論しなくてはならない。
昨日の自給作業:菜の花の採取、播種2時間 累計時間:5時間