北京オリンピック

   

東京オリンピックのとき、ハラハラして試合が見れない。大人は良くそう言った。こんなにおもしろいものを、見れないと言うのはどう言う事だろう。不思議な事だと思っていた。所が、今は日本の選手が出てくると、試合がいよいよと成ると、もうドキドキしてしまって、見ていられない。何かが年寄りモードに変わったのだろう。子供を育てるのは若い人じゃないと駄目だと言うのも、ハラハラして大胆さが無くなるってことなのかなど思う。客席はどの競技でも空席がある。東京オリンピックは、どの競技も抽選。中国の大観衆がなるほど日本が嫌いらしいと言う事が感じられた。女子サッカードイツ対日本の対戦では、応援がドイツに偏る。ドイツが好かれる理由も特にないから、日本があまり好まれていないのだと言う事が反映する。どの種目でも、反日本的な応援を注意してみると感じられた。しかし、これは音声的であり、映像ではそういう場面は避けられていた。

中国が金メダル獲得数でトップだ。中国人という底力のある大国の姿が浮かび上がる。何でも一番は、昔はアメリカとソビエトだったけれど、ついにその牙城を打ち破った形だ。イギリス選手の活躍も目立つ。次のロンドンオリンピックを目指し、イギリス選手が強化されてきていることが分かる。日本選手も本当に頑張っている。頑張りすぎて、練習しすぎて、出場できない残念な、野口選手のような人も居た。それもそれで戦い方で後悔することはない。身体が壊れるか壊れないかのギリギリのところで、選手は練習している。日本は女性選手の気持ちの強さが目立った。自立した意思を感じる。女子ソフトボールと男子ベースボールをつい較べてしまうが、選手が自分自身の強い決断で試合に挑んでいるのが、ソフトボールだと思った。ベースボールの選手は、背負い込んだ重さに押しつぶされながら、試合をやらされているような、苦しさが見えた。普段の力以上のものが出るか、どうか。がスポーツのおもしろさだ。それが普段の力も出ない精神状態に、入り込む。「プレッシャー」。こういうことも今の日本の社会状況が反映しているのだろうか。

外国チーム同士の対戦を見ていると、実に試合の内容が見えてくる。女子サッカーのアメリカ対ブラジルの対戦。0対0の状態で30分の延長戦に入る。ここでアメリカが1点を入れて勝利する。ブラジルは男子でも言われるように個人技が世界一。マルタというエースが3人ぐらいに取り囲まれても、華麗に抜き去ってゴール前に踊り出る。惜しくも、放つシュートがゴールしなかった。こうした1人の選手に頼るゲームの組み立ては、ブラジル的ではあるが、今回は実を結ばない。アメリカは終始押されていながらも、体力で凌ぎ、中盤でこぼれ玉を拾い、タテ一本のパスで前線突破のカウンター攻撃。全体の防御的フォーメーションも延長戦にはいっても変わる事がない。どうもブラジルには動きの鈍い選手が出てきてと思う頃、急に動きの早くなったアメリカが得点を入れて勝利する。

残念な事にベースボールは破れた。韓国が優勝した。2人の若いエースがすごかった。日本にも、ダルビッシュと田中選手と言う、若いすごいピッチャーが居たのだが、勝負できる形で使えなかった。破れたとはいえ、実はそのプレッシャーと言うものに直面した事も、立派に戦ったと言う事だ。他の競技も同じだ。懸命に走り、投げ、飛んだ。選手がこのオリンピックから得たものは、他に変えがたい大きな宝だろう。それは「負けた」選手であっても、十二分にやったのであれば、結果として「負けた」と言う宝を得たことに、変わりはない。「やりつくす」。平常の暮らしではつい忘れている、人間の限界に挑む姿は、心を揺り動かす。実は、これは畑の草を刈るような、実に地味な事であっても、少しも変わらないことだと、思い到る。自分のやり遂げんとすることを、やりつくす。1人の観客すら居ないが、生きると言う道のりを、己の方法でやりつくそうとしている。そう言う事をまざまざと思い出させてくれた。

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