久野里地里山 第13回勉強会
3日の夜久野の区民会館で、第13回の勉強会が行われた。戴いた資料に第1回の集まりがおととしの7月だったとある。県と市はその一年前から動き出していたとある。2004年5月。みんなで城山町の方に見学に行ったのは、記憶では2004年の夏だったように思う。いよいよ事業計画案が決まった。これで正式な協議会の設立も、今年度中にはできることになりそうだ。「久野地域の里地里山づくり」は、当初は市民が行政とは、関係せずに様々な活動を展開してきている。それらの事業を神奈川県にできた、里地里山条例で地域指定するものだ。今まである事業は、各々が生業の中で、行ってきた。これらを久野の里地里山保全という理念で結びつける事で、活動の永続性と深まりが期待できることになる。
行政、住民、市民、この連携がどのようにとられるか。ここがとても大切な事で、各々の役割を、常に見直して行く必要があるだろう。一番先行するのは、住民がこの地域で暮している事だ。自然を保全する活動ではない。自然と暮らしの調和の中で、「手入れ」を行いながら、形成された「里地里山を再生」して行くことを目的にしている。このことは、日本的自然保護の新しい形態を模索すると言う事になるだろう。田んぼを耕作する事が、お茶畑を耕作する事が、植え木の養成されていることが、ミカンやキュウイが作られていることが、なりわいに終らない。それが手入れされた自然保護だ。と言う事を、確認して行く。もちろん里山を取り囲む林業を、どう維持するかも重要な観点だろう。つまり、住民がこの地域で暮す、暮していける形を模索する。これがこの事業の根幹となる。暮らしが立たないようでは、いかなる方策もない。
今回決めた里山保全の理念は、50年100年先を、見据えたものだ。今この保全策を立ち上げたとしても、すぐに結果が出るようなものではない。自分たちがいなくなって次の世代、その又次の世代が、この地域で暮してゆけるような、そんな形を模索して、作りあげようとしているものだろう。久野地区の可能性は大きい。この地域で、生業が立たないようでは、日本中何処に言っても、地域に根ざした暮らしは、不可能な事とまで思われる。箱根からの豊かな水が何処でも利用できる。湧き水もたくさん存在する。土壌も気候も、すばらしいものがある。しかも都市からの距離も近い。この地域が、小田原の宝であることが、日増しに確認されて行く事になるに違いない。
主人公が、久野住民であるとするなら、それを協力しながら、享受するのは一般市民である。そうした、里地里山の保全に協力的な、市民の受け入れ方、かかわり方、も大切な要素になる。一般市民の理解、協力無しに、この事業は成り立たない。協力者との良い関係も、畏れず、試行錯誤してゆかなくてはならないだろう。行政の行う事は、周知、調整、準備、連絡、こうした一番大変な、見えない下支えになるだろう。いわゆる事務局的機能を、当面担ってもらわなければ、何も進まないだろう。ここで問題がひとつ生じた。今まで、この事業をサポートしてくれていた、ルネッサンス何とかという課が、無くなり、農政課が担当するというのだ。これは無理な事だ。農政課は今まで、関係部署であるから、出席はしてきたが、主体的には、かかわってこなかった。むしろ、課の枠を超えて、募集された職員の構成で、何とかここまで来た。それが、これで突然終わりというのでは、ほとんど不可能なことになる。一体加藤新市長は何を考えているのだろう。