忘れ去られた餃子事件
いつもの事だが、熱しやすく冷めやすいお国柄。中国の方でその後事件の調査は進んでいるのだろうか。先日の胡錦祷氏来日の際には、速やかに調査すると言う事だったが。一番の不思議は、中国の責任者の発表ではあのビニール包装紙は、冷凍状態ではメタミドホスが染み込むと言う事だった。日本の警察の発表では、どうやっても通さないと言う事だ。こんな簡単なことも、その後、どのように調査されたのか、私が見落としているのか。そのままである。どちらかの国の政府が虚偽を発表していたわけだから、せめてこのぐらいは科学的にやってもらいたいものだ。事件が最初に起きたのは、昨年の10月の事だ。それが、生協の対応が悪く。発見が遅れ、一月末になって急に餃子事件が勃発する。その後、あれこれ他の中国食品にまで騒ぎは広がりながら、全てが不明のまま、半年が過ぎようとしている。先ごろ、生協の依頼した、第三者調査委員会で、「社会全体で再発防止に取り組む必要がある」とする最終報告書を公表した。正直中途半端で納得できない。
吉川泰弘委員長(東大大学院教授)は事件を「虚偽表示や残留農薬と同じ性格の問題ではない」と指摘し、「有害物質の意図的な混入や事故による混入を防ぐための社会システムを構築する必要がある」と提言した。しかし、この問題の本質はもう少し違うだろう。そんな社会システムが構築できるわけがない。浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は就きまじ。石川五右衛門作。犯罪者が出ない社会の構築を考える事になる。アメリカのように、犯罪者は必ずいる。それを各自が武装して、警備員を雇って、防犯社会を構築して、こういう方向は間違っている。北風と太陽ではないが、犯罪者を生み出す社会を変えてゆくことが、本質。そのことはともかく、この餃子事件を、食べ物を輸入に頼る社会のあり方を、根本から見直す契機にしてゆくことが大切だ。中国がこの問題の解決に熱心でない背景は、そこにある。安物の食品を日本向けに何時までも作っている気はない。日本では当たり前の、生乳を宅配するようなシステムは、実は大変な社会的システムなのだ。いま中国では挑戦を始めている。
現代農業の5月の増刊号は「キョーザ事件から何が見えたか」だ。これがなかなか力の入った特集で、視点が良いし、深い。「食・労働・家族のいま」と副題がある。40個298円の生協手作り餃子を分析している。日本で自分で作ったら、一体餃子は幾らかかる食品か。実際に作ってみる。大体1個10円前後のようだ。外食の餃子はピンきりではあるが、一般的には35円に始まり、100円くらいまでだ。この生協の餃子は、7.45円と極端に安いことが分かる。材料を買ってきて家でこさえるより安い食品が、生協で販売されていると言う事を、どう考えればいいのだろう。餃子を作る手間のない社会や、暮らしぶりに問題がある事が見えてくる。確かに生協というあり方からすれば、消費者が共同購入で、価格を抑えるという原点から、こう言う事になるのか。人件費の違いとか、国のあり方の違いとか、色々あるのだろうが、長く続く事ではない。
この事件から学んだ事は、日本の食の未来であったはずだ。この本には未来を開く、様々な事例があるが、あしがら農の会が目指した、「地場・旬・自給」こそ未来を表わしていると再確認した。今月の定例会にも新しい新しい、この地域で暮す2名の方が見えた。お互い自己紹介の中で今やっていることや、夢を語り合った。やはり、これしかないという思いを強めた。月収が7万円しかないが、少しも困らず、豊かに暮している。という若い女性の確信を持った発言には、ちょっと感銘を受けた。自分はサポーターの積もりだといわれた方もいた。確かに、私を含め、みんながそうした思いに支えられてきたとおもう。農の会では、近く、子供が3人生れる。安心して子供が育てられる環境を、作り出すことだって、農の会の役割だと感じている。そういうまわりからの支えが、気持ちよく行われるような仕組み作りだろう。