箱根駅伝

   

今年の箱根駅伝は、応援に行けなかった。テレビでは切れ切れに何度も見た。陸上をやっていた血が騒ぐと言うか、とても落ち着かなくなる。今年は3校の選手が、途中棄権した。最後に棄権した東海大の選手は鎌田の踏み切りで足を痛めた。7位にいたのでシード権を逃したことになった。らしい。と言うのもそのときは見ていなかいで、ゴール場面の放送を見ていて、東海大がいないのでおかしいと思っていたらそうアナウンスがあった。確か、区間新記録が、3つもでた。気象条件が良かったとか、ばかり言われているが、選手のレベルが上がって記録が出た。と素直に放送してほしいものだ。今年一番気に成ったのが、伴走車の監督の罵声。即刻禁止すべきだ。何時から再開されたのだろう。今年は録音マイクの為か、ちょっとひどかった。伴走が禁止されて本当に良かったと思っていたのに、残念だ。

何故、データーの時代で、3人もの棄権が出たのか。箱根を走ることに向けて、現地での練習も十二分にしている。箱根の登り道では練習の選手に良く会う。関東学連は深刻に事態を考えなければならない。選手層も厚くなっているし、よほどの事がなければ、棄権の選手が出るなぞありえない。棄権した大学の、選手の自主性の尊重が、ないがしろにされている。と考えたほうが良い。選手を育てる前に、人間を育てる事ができない。これが日本の、学生スポーツの最も情けない所。強くなる為に、尋常でない訓練を積む。その長い練習に耐え切れる選手を、簡単に作ろうとするのだ。勝つ事が優先になり、何も反発のない、監督の言いなりになる選手をよしとする。選手も出場したいが余り、自分の考えを持とうとしなくなる。これが3人もの棄権が出た、原因。耐える力だけでは、人間の半分。

そうした箱根駅伝の結果、マラソンでの世界レベルの選手が男子では、育たなくなった。世界レベルの選手は、もちろん素質が重要ではあるが、人間としても世界レベルでなければ、到底通用しない。どうしてもあの円谷選手を思い出すのだ。東京オリンピックでの、ヒノマル日本の、自衛隊員。オリンピックの選手ともなると、そうした人間としての試練に何度でも出会うだろう。それを乗り切る力は、その個人としての人間力にかかっている。本来陸上競技の魅力は、個人種目であると言う所にある。それが、リレーとか、駅伝はちょっと特殊。その特殊なほうになると、力が出るという者がいる。逆に、駅伝に成ると全く駄目という者もいる。私は変わらなく弱い選手だった。日本のマラソンの女子選手は、世界のトップレベルだ。

箱根駅伝が、以前のようにマラソンランナーを育てる場に成るには、ただ勝てば良いというような、競技にならないことだと思う。今年の中央学院は強かった。8区だったか、区間新記録を出した。強くなるだろうとは思っていた。始めから応援が他の学校とは違っていた。中央学院について、駅伝以外では知らないのだが、大学の生き残りを、駅伝にかけているのかもしれない。山梨学院がそうだったと思う。急激に強くなった。そして、棄権が出た。その後弱くなった。大学経営の為におかしなことにならないように、充分気をつけて欲しい。高校野球では、甲子園出場の為に、おかしくなる学校も多いいようだ。それで良くなったと思っている高校も多いいだろうが、良くなるのは、進学と経営である。教育として、必ずしも人間が育っているかが判る為には、長い時間が掛かる。

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