自給的に生きる事 その2

      2016/08/08

農業に暮そうとしたのはなぜだったんだろう。
山北で暮し始めたころは、別段農業をやろうと考えたわけではなかった。その頃は絵の世界で生きてゆこうと張り切っていた頃だ。個展も年に3回やった年もあった。銀座の史染抄ギャラリーで、その後は美術ジャーナル画廊で、二つとも今はなくなってしまった。商業絵画の真っ只中で、努力をしたことには後悔はあるが、その時には少しも見えなかった事だ。

随分時間が経ったわけで、遅かったけれど気付くように成れたのは良かった。農業を始めたのは、絵を描く意味を深く知りたいと考えたからだった。絵の事でやれる事はそれは様々やったが、結局のところ、表現すべき内容の事に至った。伝えたい事があるから描くわけで、その伝えたい事が何処まで深いものであるか。他者にとって意味のあることなのか。その辺の事で、このままの都会暮らしでは、限界だと感じた。

その意味を分かって自然の中に移ったわけではないが、山の中で育った経験が、いつも自分を自然に引き寄せていた。その引き寄せられる世界に身を直においてみたくなった。キット絵を描く意味が自分なりに突き詰められると考えた。自然と言うものに、絶対的なものをすでに感じていた。

自給自足をしてみると何か見えてくると思ったのは、それとは少し違った意味もあった。絵を描くと言う、何の役にも立たない事で暮らしている。そんな矛盾を感じてた。商業絵画の世界に身を置こうとする、しかも、中々上手く行かない。このジレンマと不愉快さに、いたたまれなくなった。生きると言う事をシンプルに実現したくなった。出来ると思って始めたわけではなかったが、やるほか道がないというような思いつめた気分だった。

りんごの色は赤い。これは赤と言う色の観念だ。青いりんご。これも多くは薄緑色のりんごを思い描くのだろう。ここで言う色は、名前の付いた観念としての色だ。ところが、生命的に生きる色としての情報は、何色と名づけられるような色ではないのだ。赤と言う概念的な言葉で総括できるような色ではない。詰まりこのぐらいの色のりんごが収穫の時期だ。保存するなら、むしろこの程度で。違う種類なら又微妙に違う赤さになる。年によって、天候によって、樹によって、違ってくる。この微妙な色の違いは、赤と言う言葉で言う観念で収まりきるものではない。

ここに自然に生きる感性の深さがある。一度言葉に置き換える情報でなく、生の状況をどれだけ深く、把握できるか。この力を高める事が自然の仲にいくると言う事だろう。この観察の深さは、言葉には出来ない。言葉に出来ない深さまで到らなければ、農の技は深まらない。鶏のトサカの色が、7ばんのBの赤であれば、健康だ。こういう簡単な事には行かない。何歳ぐらいの、どんな種類の、どんな経過を経てきた鶏かによって、今あるべきトサカの色は違う。これが、即座に感じられるような感性の力が、農における観察の力だ。

実は絵を描くと言う事はそう言う事なのだと思う。このどうにも言葉にならない状態を、私が感じている私の内部的な世界を、絵によって描く事が可能ではないかと言うのが、絵画の重要な側面だろう。このことは、都会的な暮らしでは不可能だと思う。そこでの人間は、身体的な人間ではないからだ。絵は身体で描くもので、観念的に作り上げるものではない。その事は自然の中で生きる事で初めて、体得できた事だ。

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