大川原化工機冤罪事件

   

大川原化工機冤罪事件は実に恐ろしい事件だ。警察に要注意人物として、盗聴までされたことがある。人ごとだと思えない。3年間会社を調査した上で、社長はじめ会社の中枢部の3人が警察に逮捕され、11ヶ月拘束されたのだ。登録しなければ輸出できない軍事転用の可能な機械を、無許可で輸出したという疑いである。

逮捕で会社の社会的信用が失われ、家族や従業員の生活が危機に陥れられたのだ。残念なことに、国家権力による冤罪でっち上げ事件がくり返し起こされている。とんでもない、歪んだ国家権力の元に、日々不安にさらされ生きていると言わざる得ない。

中国とは違う意味で、権力から誰の身にこうした不幸な濡れ衣が着せられるか、分からないという恐怖の下に生きていることになる。一見人権が守られている国日本ではあるが、権力機構の人権意識は、一部だが歪んでいる。判断が恣意的で、非論理的で思い込みで動いている人たちがいる。

大川原化工機違法捜査が確定された。警視庁公安部と東京地検が違法な捜査をしたと認定された。想像されたとおりの恐ろしい結果になった。国家権力が違法捜査をして、犯罪をでっち上げたのだ。なぜこんな事件が起こされたのかは、解明されていない。公安と検察の功名心だったのか。この事件の賠償金は我々が払うことになるのか、考案や検察に対して処罰はあるのだろうか。

「無実の市民を11ヶ月間拘束した背景に何があったのか、真相は公にされなければならない。」こう考えた大川原化工機の3人は、2021年9月8日、東京都と国に対し、警視庁公安部による逮捕、検察官による起訴などが違法であるとして、損害賠償請求訴訟を提起した。この裁判がなければ闇に葬られた事件である。

大川原化工機株式会社の噴霧乾燥機は、捜査機関によって軍事転用可能であると判断され、許可なく中国に向けて輸出してはならないと判断された。大川原社長たちは逮捕後一貫して、噴霧乾燥機が規制対象に当たるはずがないと専門家の意見も添えて主張し続けた。

そして、1年近く勾留されたのち、検察官はようやく、「本件製品が規制要件を満たすものでないと明らかになった」として、起訴取り消しを行った。これを受け、東京地裁は8月2日に公訴棄却を決定。事件は突然に終了した。当然のことだが、間違っていたと言うことで良いとは思えない。

警視庁は、大川原化工機殻の提出した証拠資料から規制要件に該当しないことを知るべきであった。軍事転用可能だと考えたことには理由があったのだろうから、会社の提出した書類を調べれば、分かるはずのことである。にもかかわらず、「立件ありき」の姿勢で11ヶ月自白させればと言う、強硬な捜査を行っていた。

勾留して自白さえさせれば、有罪判決が取れると考え、ひたすらに自白を供与する取り調べを続ける。検察官も、同じように、輸出規制要件に該当しないことを知るべきだったにもかかわらず、これを見落として起訴を強行した。弁護団は5回にわたり保釈を請求したが、裁判所はいずれの保釈も退けた。この裁判所の判断は間違いだった。この責任は誰がとるのか。

何と不幸なことに一人の方は勾留中に体調を崩し、勾留の執行停止を受け自宅で治療を続けたが、令和3年2月7日に無念にも、無罪を知ることなしに、亡くなってしまった。治療中でさえ罪証隠滅のおそれがあると言われ、保釈は認められなかった。これは完全な人権侵害事件だ。

大川原社長をはじめ、大川原化工機の役員・社員たちは、3人の逮捕に先立って1年半もの間、警察の取調べに全面的に協力していたのだ。3人を含む48 名の役職員が逮捕前に応じた取調べの回数は、延べ264回もあったと言うから、今から考えれば、思い込みで動き、全くの思考停止状態だ。

また、警視庁公安部と検察官は、客観的要件に関しては逮捕前の3年間の捜査を行い、大川原化工機及びその関係者が保有する物やデータはすべて押収し、さらに、大川原化工機の関係者への、1年半の取調べによって主観面に関する証拠も十分に収集した上で、起訴へと進めた、確信のある事件だったはずなのだ。それほど無能なはずがない、隠れた意図があったとしか思えない。

この事件はこれで終わりにしてはならない。警視庁と東京地検が何故冤罪事件を起こしたのかを、本当の意図を、第3者委員会に調査をさせる必要がある。何故、雲霧乾燥装置が、軍事転用できると考えたのか。問題の本質が解明されないままであれば、また起こす可能性が高い。実際に何度も何度もこういう国家権力による冤罪を生んでいる。

一方で警察と検察が本来事件として取り扱うべき事案を、あえて調査しない事件もある。斎藤兵庫県知事による内部通報者処分事件である。最近ほとぼりが冷めたとして、維新の会の県会議員は斎藤知事に近づいている。本当に信用のおけない連中である。何を狙っているのか、世論の動向が背景にあるのかこれも怖い。

二つの事件を比べるとその違いがよく分かる。知事という権力者に手が出せないで居る。むしろ警察と検察が、防波堤になり守ろうとしている。政治家に対して、権力に対しては忖度し及び腰である。身内意識があり、協力関係があるからだ。維新の会の動きはまさにそこにある。正義ではなく、選挙の票を読んでいる。

民間人に対しては、逮捕し11ヶ月も拘留し自白を供与した。県知事に対しては、逮捕も起訴もない。また、逮捕や起訴をしない理由も明確でない。報道などは忘れたかのような、姿勢である。正義はこの国にはないのか。情けない限りである。

斉藤知事は自分に対する告発文が広まっていることを知る。犯人を捜せと副知事に指示をする。局長が内部告発文を報道に配布したと言うことが分かり、局長の私的な物まで押収し、一方的に捜査をし、局長を停職処分してしまう。局長の個人的な情報まで公開してしまう。この情報は何と維新議員によって、外部に持ち出され、公開され選挙に利用される。

明らかに、斉藤知事の犯罪である。権力が内部告発されたときに、その内部告発者を捜すことがすでに犯罪行為である。まして、その内部告発文を理由に停職処分にすれば、権力者の犯罪である。何故警察は逮捕しないのだろう。その理由が分からないし、報道も説明をしようとしない。何故検察は起訴をしないのだろうか。その理由も説明もない。

いくつもの権力の犯罪が見逃されている。安倍晋三の裏金キックバック事件も追及もされていない。安倍晋三記念小学校事件も、うやむやに終わったままだ。公文書の書き換えまでした理由は何だったのか。死んだからと言って、日本の政治をでたらめな物にした責任は安倍晋三にある。

統一教会事件も同様である。何故警察は調査すらしなかったのか。統一教会に洗脳され、家庭崩壊に至った多数の者が居るのだ。そのくらいのことは安倍晋三が知らないはずがない。反日組織統一教会を支持した理由は闇の権力、裏の支配者の存在を感じさせる事件だ。

安倍晋三が暗殺されたために、統一教会事件は起訴され、宗教法人を取り消された。もし安倍晋三が3度目に総理大臣になっていたならば、一体どれほど不幸な家庭が広がっていたことだろうかと思う。権力の犯罪は見逃す。弱い者は冤罪をでっち上げる。これは人ごとにはしておけないことだろう。

 

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