戦争体験の継承は終わる。

   

もう数年すれば、戦争に兵隊として行かされた人は居なくなる。戦後80年なのだ。20歳で兵隊の体験した人は100歳を超えることになる。沖縄では特に、戦争の語り部がいなくなることが言われる。戦争体験者がいなくなることで、戦争がまた始まるとの不安だ。

確かに体験者がいなくなれば、体験から伝わる重みのような物はなくなることになる。こう言う話でした。と言うような伝聞情報で戦争という地獄体験を伝えることが難しいと言うことはよく分かる。しかし体験者の記憶も一人の人間の特別な体験談になる。普遍性があるとまでは言えない。

よく考えてみれば、今生きている我々の平凡な日常の中にも、戦争とつながっている事実がある。逆に戦時中戦争を推進した人の記憶もある。再度戦争をすべきと考えている人の記憶だってあり得る。体験談を語ってくれる人の記憶は大切な物で尊重すべき物ではあるが、それは一面のことだと考えておく必要もある。

戦争体験の語り部の方から見れば、気持ちの良くない話であると思うが、戦争という物は必ずしも、国家による武力殺戮という意味だけではないと思う。今トランプが行っている関税戦略も一種の戦争である。力によって従わせようと言うことは、戦争と同質である。ロシアのウクライナ侵攻と変わらない行為だと考えれば、世界はアメリカを経済制裁すべきなのだ。

ゼレンスキー氏は戦争を終わらせるために、世界はロシアに経済制裁をしろと繰り返し声を震わせている。所が経済制裁をする国だけではない。世界の経済制裁を、好機と考えて、ロシアと貿易を増加させる国がある。インドや中国や北朝鮮やロシア衛星国。だから戦争が終わらない。

これが世界の現実になっている。正義も人権も、罪のない子供達が無数に殺され、あるいは拉致されていることさえ、どこかへ消えている。自分の国の経済の利害だけを優先して、当然としている国の方が多いくらいである。今起きている地上の地獄では、戦争体験を語ることなど、力を持ちようもない。

戦後の民主主義の誕生は戦争体験者の、死ぬ思いで構築した平和の道だったはずだ。2度と戦争が起きないために世界は譲り合って世界平和を目指してきた。話し合い譲り合うのが民主主義である。そのために世界は国連を作った。その願いは実体験に基づく、必死な思いだった。

国連は私の子供の頃の学校教育の中では、正義の希望の組織だった。日本は平和憲法を制定し、侵略戦争の罪を許されて、国際連盟の加盟が出来たのだ。国連の機能によって日本の平和が維持されるという幻想さえ指導された。国連は世界が戦争を始めた今、力のない機能しない物に見える。

アメリカが戦後経済の復興に、自由貿易を推進したことも平和のためだった。世界が共通に豊かになれば、戦争がなくなると希望を抱いていた。そんなアメリカを手本として、日本という国も民主主義国家として、再出発をした。稚拙な始まりではあったが、平和憲法をもち、世界平和を願う国の一つになった。

世界が豊かになれば、戦争は遠のいて行くと信じて平和主義はやってきた。確かに貧困から、飢餓から戦争が始まる。しかし、何と世界で一番豊かな国であるアメリカが、文化的な劣化によってと思われるが、世界の弱い国に対して、経済の圧力によって、自分たちだけの利益を求めている。しかもこの愚かさに世界が従っている。

アメリカの関税攻撃は明らかに戦争の一種だ。戦後民主主義が敗れたと言うことだ。アメリカ自らが主導して作った日本国憲法の平和主義を踏みにじられた。アメリカはロシアのプーチンの帝国主義や、習近平の中国覇権主義以上に、戦争への道を突き進んでいる。早く卑劣なアメリカと手を切らなければならない。

戦争の語り部がいなくなる。実体験者が居なくなることで戦争がまた起こるわけではない。戦争体験者で作られていた自民党が、日本の再軍備を進め、もう一度戦争をやろうとしている。憲法改定をして戦争が出来る日本を進めている。

それは、体験を忘れたからであろうか。そうではないと思う。プーチン、トランプと、戦争でしか争いごとは解決できないと考えて居るからだ。プーチンがウクライナに侵略したように、イスラエルがガザを殲滅しようと攻撃を続けるように、そしてトランプが関税という武力を使い、他国を従わせるように。

力で状況を変えようという人間は、力以外に他者との状況を変えることが出来ないと思い込んで居るのだ。確かに力によって、状況は変えられる。日本はトランプの一方的な要求に従わざる得ないだろう。従わなければ、さらに経済が苦しくなると恐れるからである。

しかし、日本人の心の中に、アメリカに対する信頼は日々失われる。アメリカとの同盟は従属の関係だと自覚する人たちが多数派になる。遠からずアメリカとの同盟は終わることになる。アメリカは一時的には世界の企業を従わせるかもしれない。しかし、アメリカという自己本位の国を世界中の国民が嫌いになる。

アメリカは巨大な市場を利用して、世界との関係を変えようと、関税戦争を仕掛けた。それがアメリカの一国主義であるとしている。アメリカは再び偉大な国になると叫んでいる。こうした一方的な力による現状変更は、まさにアメリカが中国に対して問題視していることと、同じことである。

強い力を持つ物は、その強い力を用いて、自分の一方的な主張を押し通してかまわないという、『戦争の論理』である。しかし、何度も繰り返すが、力によって人の心までは変えることは出来ない。アメリカ人を卑しい奴らだと、世界中の人々が考えることになる。そして、アメリカは力による現状変更に失敗することになる。

正しくない力による現状変更は、つまり戦争では何も変わらない。そのことは今のアメリカを見ていると、まざまざと見えてくる。我々世代はアメリカのくれた脱脂粉乳で育ったのだ。まずかったと嘆く人も居るが、食べるものに不安だった私には充分飲める物であった。

アメリカのくず小麦で出来た、劣悪なメリケン粉のコッペパンで飢えをしのいだ。今になって、パン給食が日本人の食生活を変える陰謀だった。というようなことを主張する人が居るが、とてもそんなことを言う気にはなれない。2歳下の弟が栄養失調で死んだ同級生がいた。食べるものをくれたアメリカを悪くなど言えない。

子供の私はそのことでアメリカに感謝し、アメリカが好きな国になった。アメリカが日本を平和国家にしてくれたと、平和憲法の制定を今でも感謝している。その平和憲法の改定を党是としている自民党を嫌悪している。力の政治から、話し合いの政治。それが民主主義だろう。

話し合いで世界の問題を解決する以外にない。これが日本国憲法の精神である。つまり、トランプが今行っている、力による一方的な圧力による現状変更を、許してはならないと日本国憲法は示している。トランプは戦争状態を一方的に押しつけて置いて、和平交渉をしようというのだ。

日本は利害ではなく、アメリカという暴力国家から、離れるべきである。早くそうすべきだったと思う日が遠からず来る。我々は新しい戦争体験者なのだ。私を覆っている、日本経済への不安はトランプの仕掛けた戦争への不安なのだ。戦時下に生きているという自覚を持ち、平和への道を探らなければならない。

強い者が、弱い者を犠牲にしてもかまわないという世界が弱肉強食の世界である。人間はこの倫理の欠落した世界から、倫理のある、人権の存在する世界の構築する理想を目指していたはずだ。それが戦後民主主義だったはずだ。戦後80年の民主主義の戦いの体験者が我々ではないか。

もう一度この戦後の平和への戦いを思い起こし、力による現状変更を許さないという、価値観に戻らなければならない。自動車の関税で日本の経済が苦しくなるかもしれない。日本の企業がアメリカに拠点を移すのかもしれない。確かに、我々の暮らしが後退し苦しくなるであろう。

しかし、苦しくとも正義は必ず勝利すると信じて、日本が独立国家としての吟爾を保ち、食糧の自給の出来る国家として進むことだ。安心立命し、人と和し、正義を信じ、力によって自分を動かそうというものをはね除けて行く。経済は後退するかもしれないが、地に足を付けて働けば、日本列島で日本人は生き抜いて行ける。

戦争を2度としないという誓いは、今アメリカとの戦争も拒否すると言うことだ。戦争から降りると言うことである。目先に欲得に動かされないと言うことだ。まずここで、アメリカとの同盟関係を終わりにすることからだろう。アメリカの駐留軍には、次第に帰って貰う。専守防衛の小さな平和国家として生き抜く道を模索しなければならない。

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