老人と運動

   



 75歳を超えると体力の衰えは具体的になってくるようだ。前には空けられた瓶の蓋が、ある日空けられなくなる。前は気にならなかった上り坂が息切れするようになる。一時間なら働けた作業が、いつの間にか30分すると止めたくなる。残念なことだが、こうして歳をとったことを知ることになる。

 この衰えを食い止めて、一年でも、二年でも現状維持をしなければならない。死ぬまで元気に働かなければ面白くない。のぼたん農園が完成するまで、身体を使い働かなければ、どうにもならない。先日気付いてがっかりしたのは、緊張感の維持である。短くなっているのだ。

 トラックターに乗っていることが出来るのも、2時間ぐらいまでになっている。身体の疲労よりも、集中力の限界である。多分車に安全に乗れるのも2時間ぐらいが限度なのでは無いか。昔は10時間も乗っていても、別段注意力が落ちるなどと言うことは無かった。小田原から平戸まで、ごく普通に一日で絵を描きに行けたのだ。あれはもう20年も前のことか。

 これ以上体力を衰退させずに、どのように維持できるかである。歳をとっても体力を落とさないためには、当然よい運動の継続である。しかし、運動は続ける事がともかく難しい。どんなに良い体操を考えたとしても続けなければ意味が無い。継続こそ健康なり。

 一日一万歩の奨励という物がある。悪くはないかも知れないが、こんなことをできる人は希有な人だ。ただ歩くと言うようなことを回峰行のように継続するなど、普通の人には出来ない。少なくとも私には出来ない。そもそもそんなに歩かなければならない、無駄な時間が無い。運動のための運動という健康法は継続できない。

 では30分ジョギングはどうだろうか。これもなかなか厳しい。走れば必ず心臓がバクバク言う。これを30分も続けたら心臓に良くない。走ると言うことはむしろ避けた方が良いと思っている。健康のためには厳しすぎる運動だと考えている。マラソンなど継続したら、普通の人は早死にするのではないだろうか。

 3歩以上は早足。これは中学生の頃から続けていた。何でも焦る性格。早くやりたくてつい急ぐのだ。だから、若い頃はいつも走っていた。金沢大学の構内は広ろかった。今の金沢城がすべてが大学だった。だから、どこに移動するにも速歩、早足。

 速歩は良い運動だと思う。先ずはゆっくり歩く。もうそれ程慌てる必要は無い。ゆっくり歩いて周りをよく見る。何か気づくことがある。これが大切だ。良い考えも浮ぶことがある。そして、時々早足にする。息が切れるくらいまで速歩をする。

 75歳の今はどうしたら良いかである。まず朝のスワイショウと八段錦だ。これだけでも良いから継続するのが一番良い。できるだけ心臓が普通に鼓動するくらいゆっくりとである。嫌になれば途中で止めても言い。20分ほどの運動だから、この程度なら何とかまだ出来る。

 太極拳まで続けて行えば最善である。スワイショウは勢いで身体を振り回していてはあまり意味が無い。ネットで見るスワイショウは勢いでやっている。スワイショウは一回一回左右で止めるように行う。一呼吸で左に行き止める。そして一呼吸で右に行き止める。

 それで1回。この往復を100回行う。膝はできるだけ落として行う。重心を下げると足腰を鍛えることになる。落とすとかなり厳しい運動になる。最初は立ち姿で始め徐々に落として行く。動くときには腰回りの筋肉を意識する。腰回りの筋肉で動くようにする。

 これだけ毎日続ければ、百姓仕事をしていても、腰痛にならない。腰の関節は誰だって衰えるのだから、その分腰周辺の筋力を維持しなければならない。膝も同じだ、関節すべてが衰える。その衰えを、筋力で補う必要がある。少なくとも維持しなければ腰痛になる。

 元気のある日は腰を落として行う。腰を落とせば負荷が強まる。最初は立ち腰で初めても、少し下げられれば下げる。思い切って下げれば、かなり負荷が高くなる。しかし、あくまでゆっくりである。きついからつい早く身体を動かすが、それくらいなら立ち腰の方がまだ良い。

 ともかくゆっくりがいい。そして眼は閉じたまま行う。眼を開いていたからと言って、身体にはどうと言うことは無いが、気持ちの方を集中させるには眼は閉じた方が良い。そして口を開き、いいち、にいいいと数を数える。呼吸を緩やかに行うためである。口を閉じていると、つい喉を詰めてしまうのだ。
 膝を曲げて、腰を落とす。腕は脇の下を付けないで浮かして行う。手は振り切ったときに手の平を上に開き止める。おかしな踊りをしているような形だが、片手は背中の方で上を向けて空ける。片手はできるだけ遠くに投げ出すように上を向けて手の平を開く。

 と言っても多分、スワイショウ八段錦だけでも継続が出来ないのが普通の人間である。私はそれなりに辛抱強いので、嫌そうではなく、長くやっているので慣れたのだ。スワイショウ八段錦まではやれる。この程度では辛抱などとは言えないかも知れないが、ちょっとでもやらないよりは、全く違うと思い継続している。

 継続というのは不思議な物で、一人では出来なくてもみんななら出来る。本当はみんなでやるのが一番良い。みんなでやれない人は、つまり私はこうしてブログに書く、ブログに書くとある程度みんな化される。こうして時々励ましとしてブログに書くと、継続しやすくなるのだ。これで今朝やらなければ恥ずかしい。

 続けていると不思議に続ける苦しさがいくらか緩和される。継続しがたい気持ちは、周期的に押し寄せる。今日ぐらい良いかと思うわけだ。ここが要だ。今日ぐらい止めてもと思った日こそ、今日こそ頑張るぞと気力を出さねばならない。そうして継続すると、徐々に継続が楽になる。日常に近くなる。

 そしてもう一つ気を付けている運動がある。間欠速歩である。歩くのもだめ。走るのもだめ。しかし歩いたり、早足をするのは良い。それは何かのついでにやることだ。歩くなど、わざわざやるようなことではない。何か移動はある。移動のついでにやる事だ。その時に思い出したら早足を入れる。

 早足をして心臓がパクパクしてきたら、普通歩きに戻る。私ならのぼたん農園の見回りを、日に数回は行う。この時に早歩きを入れる。下り坂でも良いし、時には上り坂でピッチを上げる。そもそも見回りは、しなければならない作業だから、歩くために歩いているのではない。あくまでついでだ。

 だんだん身体の危うさが増してきたので、真剣に運動を考えている。絵を描いていると言うことは極めて身体に悪い。3,4時間は絵の前に座り込んで居る。身体を痛めるに違いない。時々アトリエカーを出てのぼたん農園の見回りをする必要がある。

 

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